先行技術調査の線引きとは、未公開発明のどこまでをAIに渡すかの基準のことです。
AIに任せられるのはどこまでで、弁理士が判断するのはどこからか。先行技術調査に生成AIを使うとき、この線引きが曖昧なまま出願前の発明内容を入力すると、守秘義務と新規性の二つの論点が同時に生じます。この記事では、発明の情報を層に分け、生成AIに渡す層を決め、検索と対比の判断を弁理士が持つまでを7手順で整理します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、指針の記載は日本弁理士会の公表資料で確認しています。前提として、日本弁理士会は令和7年4月に弁理士業務AI利活用ガイドラインを公表し、秘密保持の約束がない第三者のプラットフォームに情報を載せた場合には新規性を喪失する可能性があると指摘しています(出典: 日本弁理士会 弁理士業務AI利活用ガイドライン)。
先行技術調査と生成AIをめぐる2026年の状況 新規性と守秘の二重の論点
結論から書くと、先行技術調査に生成AIを使うこと自体は、公開済みの文献を扱う限り、守秘義務や新規性の論点を生みません。論点が生じるのは、調査の起点として出願前の発明内容を生成AIに入力する場面です。発明の内容は、出願前の時点では依頼人の秘密であり、同時に、公になれば新規性を失いうる情報だからです。
新規性の枠組みは特許法第29条が定めています。同条第1項は、特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明、公然実施をされた発明、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明を、特許を受けることができない発明として列挙しています。生成AIサービスへの入力が、このいずれかに当たるかどうかは、サービスの秘密保持の条件と、入力した情報の扱われ方で変わります。当てはめは弁理士が個別に判断する事項であり、本記事ではその前に事務所として決めておく線引きを扱います。
特許法第30条は、発明の新規性の喪失の例外を定めています。特許を受ける権利を有する者の行為に起因して公になった発明について、その日から一年以内の出願に限り、一定の手続のもとで新規性を失わなかったものとみなす規定です。救済の規定はありますが、期限と証明書の提出という手続を伴います。先行技術調査の段階で意図せず公にしてしまった場合の救済を、はじめから当てにする運用は避ける考え方が一般的です。
守秘義務の根拠は弁理士法第30条です。同条は、弁理士又は弁理士であった者は、正当な理由がなく、その業務上取り扱ったことについて知り得た秘密を漏らし、又は盗用してはならないと定めています。弁理士会のガイドラインは、外部事業者が提供する生成AIに秘密情報を入力する行為が、生成AI提供者という第三者への開示になり、守秘義務に違反するおそれがあるという見方を示しています(出典: 日本弁理士会 弁理士業務AI利活用ガイドライン)。同ガイドラインは、入力された情報が学習に利用される場合には営業秘密や非公開情報の入力を避けるという考え方も示しています。
ガイドラインを事務所の規程に落とす手順は、別の記事で条項例とともに整理しました(参照: 弁理士会のAI利活用ガイドラインを事務所内規程に落とす7手順と条項例)。本記事は、規程の中でも先行技術調査に関わる線引きを、作業の手順として具体化します。
先行技術調査の現場で生成AIが役に立つのは、検索語の発想と、見つかった文献の読み込みの二つの局面です。前者は、依頼人の技術分野に慣れていない担当者が、同義語や英語表記、隣接分野の言い回しを短時間で集められる点に価値があります。後者は、ヒットした数十件の公報を読む順番を決めるために、各文献の課題と解決手段を同じ形式で並べられる点に価値があります。どちらの局面でも、生成AIが扱うのは公開情報か、抽象化した記述であって、出願前の具体的な構成ではありません。この区別が、本記事の線引きの出発点です。発明相談から先行技術調査までを扱う外部のAIプラットフォームを検討する際の判断軸は、別の記事で扱っています(参照: 研究開発AIプラットフォームを弁理士と診断士の事務所が取り込む前に 発明相談と先行技術調査の判断軸7つ)。
未公開発明を層に分けて生成AIに渡す範囲を決める7手順
手順は、発明の情報を分ける作業から始めて、記録と規程への反映で終わる順に並べます。各手順に、何を入力し、何が返るかを添えます。
手順1は、発明の情報を三つの層に分けることです。一つ目は、すでに公開されている技術の層で、公開公報や公開済みの論文、製品カタログに書かれている内容です。二つ目は、発明が解決する課題と技術分野を抽象化した層で、依頼人や具体的な構成が特定されない程度に言い換えたものです。三つ目は、具体的な構成、実施例、実験データ、依頼人名と案件番号の層です。この分け方を、依頼人からの発明提案書を受け取った時点で担当者が行います。
三層に分ける作業は、提案書の各段落に層の番号を付ける形で行うと、所内で統一しやすくなります。背景技術の段落は一つ目の層、課題の段落は言い換えたうえで二つ目の層、実施例と図面の説明は三つ目の層、という具合です。課題の段落にも、依頼人の製品名や数値が含まれることがあるので、二つ目の層に移すときに言い換えます。分けた結果は、弁理士が受任時に確認し、案件の記録に残します。
手順2は、生成AIに渡してよい層を決めることです。一つ目の層は公開済みなので渡せます。二つ目の層は、抽象化の程度と使うサービスの条件によって判断が分かれ、事務所の方針として決めておく対象です。三つ目の層は、秘密保持の条件を確認したサービス以外には渡さない、という線を引く事務所が多くなります。渡してよい層の判断は、弁理士が案件ごとに最終確認します。
手順3は、使うサービスのデータの取り扱いを確認することです。入力が学習に使われるか、保存期間はどれだけか、企業向けの契約で秘密保持の条件があるか、の三点を公式文書で確かめます。Anthropicは、入力データをモデルの学習に使うかどうかを、プランや設定ごとに分けて公開しています(出典: Anthropic プライバシーセンター Is my data used for model training?)。Googleは、Gemini APIの利用規約で、入力したデータの取り扱いを有償サービスと無償サービスに分けて公開しています(出典: Google Gemini API 利用規約)。確認した日付と内容を記録し、ガイドラインが求める定期的な見直しの起点にします。
手順4は、生成AIに検索の素材づくりを任せることです。二つ目の層の記述から、検索語の候補、同義語や英語表記、関連しそうな技術分野の候補を出させます。検索そのものは、特許情報プラットフォームであるJ-PlatPatなどで担当者が行います(参照: J-PlatPat 特許情報プラットフォーム)。生成AIに特許文献の検索や存在の断定をさせると、実在しない公報番号が返ることがあるため、検索と存在確認は人が行う工程として固定します。
あなたは特許調査の補助者です。以下は架空の発明の課題と技術分野を抽象化した記述で、実在の依頼人や案件とは関係ありません。
記述:
飲料容器の蓋において、開封後の再密閉時に内容物の漏れを抑える構造に関する技術。
依頼:
1. 先行技術を探すための検索語の候補を日本語と英語で列挙してください
2. 同義語や言い換えの候補も挙げてください
3. 関連しそうな技術分野の候補を挙げてください
4. 特許文献の番号や文献名は出さないでください。存在の確認は人が行います
手順5は、ヒットした公開文献の整理を生成AIに任せることです。検索で見つかった公開公報は、すでに公開された情報なので、本文を入力しても守秘義務と新規性の論点は生じません。各文献の要約、課題と解決手段の抜き出し、発明との共通点と相違点の候補を文章で整理させます。ここでも、文献に書かれていないことを補わないよう指示します。
以下は公開済みの特許公報の抜粋です。公開情報のみを使っています。
抜粋:
(公開公報の要約と請求項を貼る)
依頼:
1. この文献の課題と解決手段を、抜粋に書かれている範囲で要約してください
2. 以下の着目点との共通点と相違点の候補を、抜粋の該当箇所を引用して列挙してください
着目点: 再密閉時の漏れ抑制構造
3. 抜粋に書かれていないことは「抜粋に記載なし」と書き、推測で補わないでください
4. 新規性や進歩性の評価は行わないでください。評価は弁理士が行います
手順6は、発明との対比の判断を弁理士が行うことです。生成AIが出した共通点と相違点の候補は、あくまで候補です。文献の原文を開き、請求項と実施例を読み、発明の三つ目の層と突き合わせる作業は弁理士が持ちます。新規性と進歩性の見立ては、ここで初めて形になります。手順5の出力は、弁理士が読む順番を決めるための地図であって、結論ではありません。
手順7は、記録と規程への反映です。どの案件で、どのサービスに、どの層の情報を、いつ入力したかを記録します。記録があれば、あとから依頼人に説明でき、万一の事故のときに影響範囲を特定できます。記録の形式と保存場所は、発明者の記録体制を扱った記事の考え方と共通します(参照: AIは発明者になれない前提で 弁理士が顧客に組む記録体制7手順)。手順2で決めた層の線引きと、手順3の確認の頻度は、事務所の規程に書き入れます。
7手順を通して変わらないのは、生成AIの出力が調査の結論になる場面がない点です。検索語は人が検索に使い、文献は人が存在を確かめ、対比は弁理士が判断します。生成AIが減らすのは、その前段の発想と整理の時間です。この構図を所内で共有しておくと、便利さに引かれて三つ目の層を入力してしまう事故が減ります。
守秘義務と新規性の線をどこに引くか 規程と依頼人への説明
結論から書くと、事務所として先に決めておく事項は、三つ目の層を渡せるサービスの条件と、二つ目の層の抽象化の基準の二つです。この二つが文書になっていれば、担当者は案件ごとに迷わず、弁理士は確認に集中できます。
三つ目の層を渡せるサービスの条件は、手順3で確認した三点で書きます。学習に使われない設定であること、保存期間が事務所の基準内であること、秘密保持の条件を含む契約であること、です。弁理士会のガイドラインが、利用規約やプランの仕様は数か月単位で改定されることがあるため定期的に確認することが望ましいとしている点を踏まえ、確認の頻度も決めておきます(出典: 日本弁理士会 弁理士業務AI利活用ガイドライン)。
二つ目の層の抽象化の基準は、依頼人と発明が特定されない程度、と言葉で書くだけでは現場で揺れます。技術分野と課題は書いてよい、解決手段の具体的な構成は書かない、数値や材料名は書かない、といった具体の基準を置き、手順1の分け方を所内で統一します。抽象化した記述を作る担当者と、それを確認する弁理士を分けておくと、抽象化が足りないまま入力される事故が減ります。
依頼人への説明も、事務所として決めておく事項です。先行技術調査で生成AIを使うこと、未公開の発明内容は秘密保持の条件を確認したサービス以外には入力しないこと、公開文献の整理に使うこと、を委任契約や受任時の説明に含める運用があります。依頼人が特定のサービスへの入力を望まない場合に備えて、使わない選択ができる形にしておくと、説明が通りやすくなります。
規程に落とす項目の例を挙げます。発明情報の三層の定義と分け方の担当者。層ごとに入力してよいサービスの条件。サービスのデータ取り扱いの確認者と確認の頻度。検索と文献の存在確認を人が行うこと。対比の判断を弁理士が行うこと。入力の記録の形式と保存場所。依頼人への説明の文面。これらは事務所の事情に合わせて増減する項目の例であり、規程でこう定めれば足りるという意味ではありません。
先行技術調査に生成AIを使って起きやすい失敗と回避策
失敗の一つ目は、発明提案書の実施例をそのまま生成AIに貼ったケースです。急いで検索語を出したいときに起きます。回避策は、手順1の三層への分け方を受任時の定型作業にし、三つ目の層を含む文書は入力画面に貼らないという所内ルールを置くことです。
二つ目は、秘密保持の条件を確認していない無償サービスを使ったケースです。個人の端末で試したサービスが、そのまま業務に使われることがあります。回避策は、手順3の確認を済ませたサービスの一覧を所内で共有し、一覧にないサービスには業務情報を入れないことです。
三つ目は、生成AIが挙げた公報番号を確認せずに調査報告に載せかけたケースです。生成AIは実在しない番号や、内容の違う文献を返すことがあります。回避策は、手順4で検索と存在確認を人が行う工程として固定し、報告書に載せる文献はJ-PlatPatなどで原文を開いたものに限ることです。
四つ目は、生成AIの対比表をそのまま新規性の見立てにしたケースです。共通点と相違点の候補は、文献の一部しか読んでいない状態で出されることがあります。回避策は、手順6で弁理士が原文を読む工程を省かないことと、生成AIの出力を読む順番の地図として扱うことです。
五つ目は、入力の記録がなく、サービスの条件が変わったときに影響範囲を特定できなかったケースです。回避策は、手順7の記録を案件ごとに残し、手順3の定期確認で条件の変更に気づける体制にすることです。
費用・工数・体制 線引きの運用は誰が持つか
費用は、生成AIサービスの利用料と、所内の工数の二つに分かれます。サービスの利用料は、企業向けの契約か個人向けのプランかで大きく変わり、秘密保持の条件を含む契約は個人向けより高くなるのが通例です。金額は各社の料金ページで確認する対象であり、本記事では目安を書きません。
工数の大半は、手順1の三層への分け方と、手順6の弁理士による対比に集中します。生成AIが減らすのは、検索語の候補出しと、公開文献の要約と整理の時間です。弁理士が原文を読む時間は減りません。むしろ、読む順番が整理されることで、読む対象の取捨選択に時間を使えるようになります。
体制は、三層に分ける担当者、サービスの条件を確認する担当者、対比の判断を行う弁理士の3役です。数名規模の事務所では、弁理士が三層の分け方の確認とサービスの条件確認を兼ね、スタッフが検索と公開文献の整理を持つ形が多くなります。どの形でも、手順3の確認記録と手順7の入力記録の二つを文書で残しておくと、依頼人に問われたときに説明できます。
導入の順序としては、公開文献の整理である手順5から試す進め方が、論点を生まずに効果を確かめられます。公開公報の要約と整理だけなら、守秘義務と新規性の論点は生じないからです。そこで出力の癖と確認の工数を把握してから、手順4の検索語の候補出しに広げ、最後に手順2の線引きを規程に落とす、という順番が続けやすい方法です。
今後の展望 特許庁のAI活用と事務所側の線引き
特許庁の側でも、審査にAIを使う体制が整えられています。特許庁のAI審査支援の体制とAI関連出願の動向は、別の記事で整理しました(参照: 特許庁のAI審査支援チーム体制とAI出願動向 弁理士が押さえる7論点)。審査側がAIで先行技術を探す以上、出願側も同じ水準の調査をAIで補うことは自然な流れです。問題は、何を入力するかの線引きであって、AIを使うかどうかではなくなっています。
もう一つの論点は、サービス側の条件の変化です。学習利用の設定や保存期間は、サービスの改定で変わります。手順3の定期確認を怠ると、ある日から条件が変わっていたことに気づかないまま入力を続けることになります。確認の頻度を規程に書き、確認日を記録する運用が、事務所の説明責任を支えます。
新規性喪失の例外は救済の規定ですが、期限と手続を伴います。先行技術調査の段階での線引きは、この救済に頼らないための予防策です。線引きの基準と記録は、事務所の資産として次の案件にも使えます。
よくある質問
抽象化した課題の記述なら、どのサービスに入力してもよいですか
事務所の方針として決める事項です。抽象化の程度と、サービスの秘密保持の条件の組み合わせで判断が分かれるため、手順2の線引きを文書にし、案件ごとに弁理士が確認する運用が考えられます。
公開公報の本文を生成AIに入力しても新規性の論点は生じませんか
公開済みの文献は、すでに公になった情報です。入力によって新たに公になる情報がない限り、新規性の論点は生じない、という整理が一般的です。ただし、公報の抜粋に発明の三つ目の層の情報を添えて入力すると、話が変わります。
生成AIに先行技術を検索させてはいけませんか
検索語の候補出しまでを任せ、検索と文献の存在確認は人がJ-PlatPatなどで行う運用が考えられます。生成AIは実在しない公報番号を返すことがあるためです。
新規性喪失の例外があるなら、多少の入力は救済されますか
特許法第30条の例外は、一年以内の出願と証明書の提出という手続を伴います。救済を前提に入力する運用は避ける考え方が一般的で、個別の適用の可否は弁理士が判断する事項です。
依頼人に生成AIの利用を説明する必要がありますか
説明の要否は契約内容と事務所の方針によります。少なくとも、どの層の情報をどの条件のサービスに入力するかを文書にしておけば、問われたときに示せます。使わない選択ができる形にしておく運用もあります。
サービスの条件はどれくらいの頻度で確認すればよいですか
弁理士会のガイドラインは、利用規約やプランの仕様が数か月単位で改定されることがあるとして、定期的な確認が望ましいとしています(出典: 日本弁理士会 弁理士業務AI利活用ガイドライン)。頻度は事務所で決め、確認日を記録しておきます。
拒絶理由通知への応答でも同じ線引きが使えますか
応答書の下書きでは、公開済みの出願書類と引用文献が中心になるため、入力できる情報の範囲は広がります。ただし、補正案に未公開の実施例を足す場面では、本記事の三層の分け方がそのまま使えます(参照: 拒絶理由通知の応答書をAIで下書きする 弁理士が引く7つの確認軸)。
参考文献
- 日本弁理士会 弁理士業務AI利活用ガイドライン
- e-Gov法令検索 特許法第29条
- e-Gov法令検索 特許法第30条
- e-Gov法令検索 弁理士法第30条
- J-PlatPat 特許情報プラットフォーム
- Anthropic プライバシーセンター Is my data used for model training?
- Google Gemini API 利用規約
※士業のチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴事務所の業務に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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