事務所のAI人材とは、業務を理解したうえでAIの使いどころを決められる人のことです。
AIに詳しい人を採ろうとして、要件が定まらないまま募集が止まる。士業事務所でよく起きる形です。この記事では、事務所に必要なのはどういう人材かを整理し、採用と育成のどちらを主軸にするか、育てる場合の進め方を具体的に示します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で確認しています。生成AIサービスの利用については個人情報保護委員会の注意喚起が判断の出発点になります。
事務所に要るのはどういう人か
要件を先に整理します。ここが曖昧なまま採用に進むと、来た人と事務所の期待がずれます。
事務所が求めているのは、技術に詳しい人ではありません。業務を理解したうえで、どの工程にAIを当てるかを判断できる人です。この判断には、業務の流れ、顧問先との関係、有資格者が確認する工程の意味が分かっている必要があります。技術の知識だけでは判断できません。
具体的に求められる働きは4つです。第1に、業務のどこにAIが効くかを見極めること。第2に、事務所として使う指示文の型を作り、更新すること。第3に、入力してよい情報の線引きを担当者に伝えること。第4に、出力の確認工程が形骸化していないかを点検すること。
この4つのうち、技術の知識が要るのは第2の一部だけです。残りは業務と情報管理の理解が中心になります。指示文の型づくりにしても、必要なのはプログラミングの知識ではなく、業務で何を求めているかを言葉にする力です。
この整理から言えるのは、外から採るより、中で育てるほうが早いということです。業務を理解している人にAIの使い方を覚えてもらうのと、AIに詳しい人に士業の業務を覚えてもらうのとでは、前者のほうが期間が短く済みます。
もちろん、事務所の規模や既存の人員の状況によって判断は変わります。ただ、まず育成を検討してから採用を考える、という順番のほうが、要件が具体的になります。業務全体の設計は士業のAI活用ガイドで扱っています。
育てる対象を誰にするか
所内の誰に担ってもらうかを決めます。選び方には基準があります。
第1の基準は、業務を実際に回している人であることです。所長や事務長が兼務する事務所もありますが、日々の作業から離れていると、どこが手間かの感覚が鈍ります。止める判断も、実務を知っている人のほうが正確に下せます。
第2の基準は、他の担当者に説明できる人であることです。自分で使えることと、人に教えられることは別です。事務所の型を広げる役目を負うため、伝える力が要ります。
第3の基準は、新しいやり方に抵抗が少ないことです。ただし、無批判に受け入れる人よりは、疑問を持って試す人のほうが向きます。生成AIの出力を鵜呑みにしない姿勢は、士業の実務では欠かせません。
第4の基準は、時間を確保できることです。通常業務のうえに乗せると、立ち上げが進みません。担当を決めるときは、他の作業を少し外す配慮とセットにします。
有資格者である必要はありません。事務スタッフが担っている事務所もあります。ただし、出力を確認して確定させる工程は有資格者が担うため、その連携が取れる関係であることが前提になります。
一人に集中させすぎない工夫も要ります。その人が不在のときに事務所が止まる状態は避けます。副担当を決めるか、少なくとも作った型を文書化して共有しておきます。
何を、どの順番で覚えてもらうか
育成の中身を具体的に書きます。順番があります。
第1段階は、生成AIの性質を理解することです。事実を検証する機能が組み込まれていないこと、形式が正しい誤りが出ること、渡した資料から探させるほうが誤りが減ること。この3点が出発点になります。誤り対策の詳細は生成AIのハルシネーション対策で扱っています。
第2段階は、入力してよい情報の線引きを理解することです。事務所の区分と、匿名化の作法。ここは技術ではなく事務所のルールなので、規程やガイドラインを読んでもらいます。
第3段階は、指示文を書けるようになることです。役割の指定、材料の提示、条件の列挙、出力形式の指定。この4つの要素で組み立てます。うまくいかないときに、どの要素を直せばよいかが分かるようになれば、この段階は越えています。
第4段階は、業務への当て方を判断できるようになることです。ここが最も時間がかかります。実際に自分の業務で試し、効いた業務と効かなかった業務を経験することでしか身につきません。
第5段階は、他の担当者に伝えられるようになることです。自分が使えるようになった後、型を文書にして共有し、質問に答える。ここまで来て、事務所の人材になります。
参考値として、第1から第3までは数日から2週間程度、第4段階は数か月かかると見ておくと、無理のない計画になります。第4段階を急ぐと、効きそうな業務に当てずっぽうで手を出すことになります。
練習に使える指示文の型を挙げておきます。まずこの形で書けるようになることを目標にします。
あなたは(役割)です。以下の(材料)を読み、(作業内容)を行ってください。
条件:
- 材料に書かれていない事実を補わないこと
- 判断や評価を書かないこと
- 数値・日付・金額は材料のまま変更しないこと
- 固有名詞は A社、甲、乙 のまま扱うこと
- 出力は(形式)にすること
材料:
"""
(ここに貼り付け)
"""
型に沿って書けるようになったら、条件の部分を業務に合わせて足していきます。最初から凝った指示文を書こうとすると、どこが効いているのか分からなくなります。
練習の題材としては、所内の文書を使うのが安全です。顧問先の情報を含まないため、線引きの判断に気を取られずに操作を覚えられます。所内の会議のメモ、業務の手順書、事務所の汎用文例。この3つがあれば、要約、抽出、書き換えの練習ができます。
自分の書いた指示文を点検する型も渡しておくと、上達が速くなります。
あなたは指示文の点検役です。以下の指示文を読み、次の観点で問題点を列挙してください。
観点:
- 役割の指定が抜けていないか
- 作業内容が具体的に書かれているか
- 出力の形式が指定されているか
- 条件同士が矛盾していないか
- 事実を補わせない条件が入っているか
- 判断や評価を書かせない条件が入っているか
出力形式:
- 観点 / 問題点 を1行ずつ
- 問題のない観点は出力しないこと
改善案は書かず、問題点の指摘だけを出力してください。
指示文:
"""
(ここに貼り付け)
"""
この点検を繰り返すうちに、どの要素が抜けやすいかが自分で分かるようになります。
守秘義務と規程 育成に組み込む項目
士業事務所の育成に固有の項目が、情報管理です。技術の習得より先に置きます。
覚えてもらう内容は3つです。第1に、事務所が扱う情報の性質。第2に、入力してよい情報の区分と匿名化の作法。第3に、出力を外に出す前の確認工程。
第1については、守秘義務が資格法に根拠を持つことを理解してもらいます。弁護士は弁護士法第23条、税理士は税理士法第38条、公認会計士は公認会計士法第27条、司法書士は司法書士法第24条、行政書士は行政書士法第12条、社会保険労務士は社会保険労務士法第21条、弁理士は弁理士法第30条にそれぞれ規定があります。個人情報の側では、安全管理措置が個人情報の保護に関する法律の個人情報保護法第23条に置かれています。
条文の全文を覚える必要はありません。事務所は顧問先の秘密を守る義務を法律上負っており、その対象は個人情報に限られない。この理解があれば、判断の重さは伝わります。
第2と第3については、事務所の規程とガイドラインを読んでもらいます。文書がなければ、育成を機に作ります。規程の条立ては士業事務所のAI利用規程テンプレートで扱っています。
新しく入った人への説明も、手続きに組み込みます。生成AIの出力が誤り得ることを知らない担当者が、そのまま業務に使う状態がいちばん危険です。入所時の資料に、規程とガイドラインを含めておきます。
採用する場合の要件の書き方
育成と並行して採用を検討する場合、要件の書き方に注意します。
避けたいのは、AIに詳しい人という書き方です。何ができればよいのかが伝わらず、応募する側も判断できません。結果として、期待と違う人が来ます。
書くとすれば、業務の側から書きます。事務所の業務プロセスを整理し、改善の提案ができること。文書の作成や資料の整理の経験があること。情報管理のルールを理解して運用できること。この方向の要件のほうが、事務所が実際に求めているものに近くなります。
生成AIの利用経験を要件に入れる場合も、何に使った経験かを具体化します。文書の作成に使った、資料の整理に使った、という粒度で書くと、応募する側も答えやすくなります。
なお、採用した人にも、事務所の業務と情報管理を覚えてもらう期間は要ります。AIの知識があれば即戦力になる、という想定は現実に合いません。育成の第2段階と第4段階は、外から来た人にも必要になります。
採用と育成のどちらを選ぶにせよ、事務所として何を求めているかを言葉にする作業は避けられません。この作業自体が、事務所の業務理解を深めます。
もう一点、待遇の設計にも触れておきます。担当を任せた人に、その役割に見合う評価をしていない事務所は少なくありません。通常業務に加えて事務所全体の仕組みづくりを担っているのであれば、それを評価に反映しないと続きません。役割の名称を付けるだけでも、所内での位置づけが明確になります。
外部の人材を短期で使う選択肢もあります。導入の初期だけ外部に伴走してもらい、型ができたら内部に引き継ぐ形です。この場合も、入力してよい情報の区分と確認工程の設計だけは事務所の中で決めます。外から決められる部分ではないためです。
育成でつまずくパターン
1つ目は、担当者の通常業務を減らさなかった例です。新しいやり方を覚える時間を確保しないまま通常の業務量のうえに乗せると、担当者は従来のやり方に戻ります。
2つ目は、技術の習得を先に置いた例です。士業事務所では、情報管理の理解を先に置きます。使えるようになってから線引きを教えると、その間の期間が空白になります。
3つ目は、一人に集中させた例です。その人が不在のときに事務所が止まります。副担当を決めるか、作った型を文書化して共有します。
4つ目は、成果を所内で共有しなかった例です。担当者の中に成果が閉じたままだと、事務所全体に広がりません。月に一度、短くてよいので共有の場を作ります。
5つ目は、効果を測らずに続けた例です。担当を置いたことで何が変わったかを見ていないと、育成が続いているのか止まっているのかも分かりません。
6つ目は、担当者に権限を与えなかった例です。型を更新する権限がないと、迷った場面が集まっても文書に反映されません。決める人と実行する人が別でも構いませんが、実行する人が提案できる形にしておきます。
費用と体制
費用は、ライセンス料と研修の費用が中心になります。外部の研修を使う場合、士業向けに作られているかを確認します。一般の事業会社向けの内容では、守秘義務と確認工程の部分が抜けます。
工数は、育成の初期に集中します。参考値として、第1から第3段階までに数日から2週間、第4段階の伴走に数か月を見ておくと、無理のない計画になります。この期間、担当者の通常業務を少し外す配慮とセットにします。
体制では、育成を見る人を決めます。所長が見る事務所が多くなりますが、進捗を確認する場を月に一度作っておかないと、担当者任せになって止まります。
補助金の活用を検討する場合は、IT導入補助金の公式サイトで対象と要件を確認します。中小企業向けの支援制度全般は中小機構の情報にまとまっています。人材育成に関する支援は制度によって枠組みが異なるため、公募要領の原文で確認します。
これから変わること
生成AIの操作そのものは、今後さらに簡単になることが見込まれます。指示文を凝って書く技術の価値は、相対的に下がっていきます。
一方で、どの業務に当てるか、何を入力しないか、どこを確認するかという判断の部分は残ります。むしろ、操作が簡単になるほど、判断できる人の価値が上がります。育成の重心は、操作から判断へ移っていきます。
制度面では、個人情報保護法の見直しの議論が続いています。委員会の公表資料は個人情報保護委員会の報道発表で追えます。規定が変われば、担当者に伝える内容も更新の対象になります。
採用の市場としては、士業の業務を理解している人材は限られています。この状況が短期に変わることは考えにくいため、中で育てる選択肢の重みは当面続きます。
もう一つの変化として、若手の側の期待があります。生成AIを日常的に使ってきた世代が事務所に入ってくると、道具が用意されていない職場は選ばれにくくなります。採用の競争力という観点からも、事務所の環境を整えておく意味が出てきます。これは効率化とは別の軸の話ですが、人手の確保が難しい環境では実質的な効果として効いてきます。
よくある質問
AIに詳しい人を採用したほうが早いですか
事務所が求めているのは技術に詳しい人ではなく、業務を理解したうえでAIの使いどころを判断できる人です。業務を知っている人にAIの使い方を覚えてもらうほうが、期間としては短く済みます。まず育成を検討してから採用を考える順番のほうが、要件も具体的になります。
誰に担当してもらうのがよいですか
業務を実際に回している人が向きます。他の担当者に説明できること、疑問を持って試す姿勢があること、時間を確保できることも基準になります。有資格者である必要はありませんが、出力を確認して確定させる有資格者との連携が取れる関係であることが前提になります。
どれくらいの期間で使えるようになりますか
生成AIの性質の理解、情報管理の線引き、指示文の書き方までは数日から2週間程度が目安です。業務への当て方を判断できるようになるまでは数か月かかります。この段階は実際に試した経験でしか身につきません。
技術と情報管理はどちらを先に教えますか
士業事務所では情報管理を先に置きます。使えるようになってから線引きを教えると、その間の期間が空白になります。入力してよい情報の区分と匿名化の作法は、操作の習得より前に伝えます。
一人に任せて大丈夫ですか
その人が不在のときに事務所が止まる状態は避けます。副担当を決めるか、少なくとも作った型を文書化して共有しておきます。成果が個人の中に閉じたままだと、事務所全体には広がりません。
外部の研修は使えますか
士業向けに作られているかを確認します。一般の事業会社向けの内容では、資格法の守秘義務と有資格者が確認する工程という部分が抜けます。操作の習得には使えますが、事務所固有の判断の部分は中で育てることになります。
参考文献
- 個人情報保護委員会 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等
- 個人情報保護委員会 法令・ガイドライン等
- e-Gov法令検索 個人情報の保護に関する法律
- e-Gov法令検索 公認会計士法
- e-Gov法令検索 社会保険労務士法
- IT導入補助金
- 中小機構 中小企業向け支援情報
- 情報処理推進機構 情報セキュリティ関連の各種ガイドライン
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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