労務監査とは、法令や就業規則の遵守状況を点検する社労士業務のことです。
社会保険労務士法の第2条第1項第3号に、労務管理と社会保険に関する相談・指導の内容として、これらの事項に係る法令並びに労働協約、就業規則及び労働契約の遵守の状況を監査することを含む、という文言が加わりました。改正法は法律第七十七号として令和7年6月25日に公布され、この規定は公布の日から施行されています(出典: 衆議院 社会保険労務士法の一部を改正する法律)。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で確認しています。
9次改正で何がどこに書き加わったのかを条文で確認する
改正の全体像を、条文の変更箇所で押さえます。第一に、第1条が置き換えられ、条見出しが社会保険労務士の使命になりました。改正後の第1条は、社会保険労務士は労働及び社会保険に関する法令の円滑な実施を通じて適切な労務管理の確立及び個人の尊厳が保持された適正な労働環境の形成に寄与することにより、事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上並びに社会保障の向上及び増進に資し、もつて豊かな国民生活及び活力ある経済社会の実現に資することを使命とする、と定めています(出典: e-Gov法令検索 社会保険労務士法)。
第二に、第2条第1項第3号の末尾に、監査に関する括弧書きが加えられました。改正前の同号は、事業における労務管理その他の労働に関する事項及び労働社会保険諸法令に基づく社会保険に関する事項について相談に応じ、又は指導することを社労士の業務としており、そこに遵守の状況を監査することを含む旨が書き足された構造です(出典: e-Gov法令検索 社会保険労務士法)。
第三に、第2条の2の訴訟代理人が代理人に改められ、第26条の名称使用に関する規定の書きぶりが整えられました。施行日はここで分岐します。改正法の附則は、この法律は公布の日から施行するとしたうえで、第26条の改正規定は公布の日から起算して10日を経過した日から、第2条の2の改正規定は令和7年10月1日から施行すると定めています(出典: 衆議院 社会保険労務士法の一部を改正する法律)。
この分岐が実務の説明で効きます。労務監査の明記そのものは第2条第1項第3号の改正であり、附則の例外列挙に含まれていないため、公布の日から施行された部分です。顧問先や社内で施行時期を説明する場面では、10月1日施行と一括りにすると条文と食い違います。どの規定がいつからかを分けて話せるかどうかが、専門家としての精度の差になります。
もう一点、書き足しの位置も読み方に影響します。監査に関する文言は独立の号として立てられたのではなく、相談・指導の号の括弧書きとして加えられました。ここから、監査が相談・指導の延長線上に位置づけられている構造が読み取れます。会計監査のような制度的な監査の枠組みが新設されたわけではなく、社労士が行う点検業務の輪郭が条文上で明確になった、という理解が公表資料の記載に沿っています。この違いを飛ばして監査という語だけを前面に出すと、顧問先の期待値がずれます。
社労士業務にAIをどう噛ませるかの前提整理は事務所の最小構成での導入手順を扱った記事にまとめてあります。就業規則の点検にAIを使う場面の作法は生成AIガイドブックと就業規則の検証を扱った記事で扱っています。
労務監査チェックリストをAIで作る7項目と工程
条文が輪郭を示したなら、次は自事務所の点検様式を作る作業です。以下の7項目は、条文の対象範囲(法令、労働協約、就業規則、労働契約)を分解したものです。AIが担うのは様式の下書きと突合の候補出しまでで、点検結果の評価と顧問先への報告は社労士が行う前提で組みます。
第一項目は、就業規則の存否と届出の状況です。労働基準法第89条は、常時十人以上の労働者を使用する使用者は同条各号に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならないと定め、これらの事項を変更した場合も同様とする旨を規定しています(出典: e-Gov法令検索 労働基準法)。点検の設計としては、規則の存否だけでなく、直近の変更が届出まで完了しているかを確認欄に分けて持つ形が実務的です。
第二項目は、周知の状況です。同法第106条は法令等の周知義務の条見出しの下に、使用者が法律及びこれに基づく命令の要旨、就業規則、同条に列挙された協定などを労働者に周知させる旨を定めています(出典: e-Gov法令検索 労働基準法)。実地で崩れやすいのは、規則は整っているのに周知の手段が更新されていないパターンです。
第三項目は、時間外・休日労働に関する協定です。同法第36条は、使用者が当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合または過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところにより行政官庁に届け出た場合の取扱いを定めています(出典: e-Gov法令検索 労働基準法)。点検欄は、協定の有効期間、代表者の選出方法、事業場ごとの届出状況の三つに分けると抜けが減ります。
第四項目は、労働条件通知の内容と実態の一致です。第五項目は、労働時間の記録と賃金台帳の整合です。第六項目は、社会保険の資格取得・喪失の届出の遅れの有無です。第七項目は、労使協定と労働協約の一覧化と有効期間の管理です。この4項目は条文の列挙ではなく、実務で崩れやすい順に並べています。
工程は3段階に分けます。まず様式の下書きをAIに作らせ、条文に対応する確認欄の構造を組みます。次に顧問先ごとの実データを人が投入し、突合の候補をAIに出させます。最後に社労士が結果を評価し、指摘事項と改善案を確定させます。この3段目を工程表に明記しておかないと、下書きがそのまま報告書になる事故が起きます。
様式の骨格づくりでは、次のような型が使えます。条番号は出させず、確認欄の構造だけを作らせる指定にしています。
あなたは労務点検の様式を設計する補助者です。以下の観点から、確認シートの構造のみを出力してください。
【入力】
- 対象: 従業員35名、事業場2か所の製造業(架空のA社)
- 点検範囲: 就業規則、労使協定、労働契約、社会保険の届出
【出力条件】
1. 「確認項目」「確認資料」「確認方法」「所見の記入欄」の4列構成で、項目を20行以内で列挙する
2. 事業場ごとに分ける必要がある項目には「事業場別」と明示する
3. 条文番号・通達番号・様式番号は一切出力しない(社労士が原典から補う)
4. 法令に適合しているかどうかの判定や評価は書かない
5. 顧問先へのヒアリングが前提となる項目には「要ヒアリング」と付す
突合の候補出しでは、事実の不一致の指摘までに用途を限定します。
あなたは労務データの不一致候補を洗い出す補助者です。判定や評価は行いません。
【入力】
- 就業規則の記載(抜粋): 始業9時、終業18時、休憩60分、所定休日は土日祝
- 勤怠データの集計(架空のA社・直近3か月): {ここに月別の労働時間集計を貼る}
- 賃金台帳の集計: {ここに手当項目別の支給額を貼る}
【出力条件】
1. 「規則の記載と記録が食い違って見える点」「記録同士が食い違って見える点」「情報が足りず判断できない点」の3区分で列挙する
2. 各項目に、確認に必要な追加資料の種類を添える
3. 法令適合性の結論、是正の必要性の評価は書かない(社労士が判断する)
4. 条文番号・行政通達の番号は出力しない
5. 従業員個人が特定できる記述は出力しない
二つの型の共通点は、識別子を出させないことと、評価を書かせないことです。前者はハルシネーションの混入を防ぐため、後者は成果物を下書きに留めるためです。点検業務は結論の妥当性がそのまま価値になるため、結論をAIに書かせない設計が要点になります。
顧問先の労務データをAIに入れる前に決めておく3つのこと
一つ目は、根拠条文の確認です。社会保険労務士法第21条は、開業社会保険労務士又は社会保険労務士法人の社員は、正当な理由がなくて、その業務に関して知り得た秘密を他に漏らし、又は盗用してはならないと定め、その立場でなくなった後においても同様とする旨を規定しています(出典: e-Gov法令検索 社会保険労務士法)。条文の位置はここまでです。個別のツール利用が正当な理由の範囲に収まるかどうかは事案ごとの判断であり、記事が代わりに結論を置くことはできません。
労務データの特殊性も押さえておきます。点検業務で扱うのは、賃金、労働時間、休職、傷病、懲戒、家族構成といった情報です。会計データと違い、個人の健康や家庭の事情に踏み込む項目が混じります。データの機微さの階層を事務所として分けておき、階層ごとに扱えるツールを決める設計が、実務では扱いやすい形になります。
二つ目は、ベンダー条件の確認です。入力データが学習に使われるか、保存期間と保存先の国、再委託先の構成の三つを原文で確認します。人事労務システムに組み込まれたAI機能の場合、システム事業者とモデル提供事業者が別会社であることが通常であり、データの流れはシステム側の利用規約とデータ処理条件を読まないと分かりません。人事労務システム側のAI機能をどう評価するかは人事領域のAIエージェントの影響を整理した記事で扱っています。
三つ目は、顧問先への説明と同意の設計です。労務データは従業員本人の情報であり、顧問先が事業者として保有しているものです。事務所が外部サービスに投入する場合、顧問先の同意だけで足りるのか、従業員への説明をどう位置づけるのかが論点になります。この点は顧問先の社内規程や労使の合意の状況にも左右されるため、事務所として一律の答えを持つより、確認手順を持つ形が現実的です。実務では、匿名化・集計化した形でしか投入しない方針を採る事務所と、顧問先ごとに個別合意を取る方針を採る事務所の両方があります。
規程に落とすなら、使ってよいツールの列挙から書き始める構成が運用に載りやすいと考えられます。禁止事項の羅列は抜け道の解釈を各担当者に委ねる結果になりがちです。使えるツール、投入してよいデータの階層、人が確認する工程、記録の残し方の四点を先に決め、それ以外は個別相談とする形にすると、判断の負荷が事務所側に集まります。ハラスメント関連の規程整備との接続はカスハラ対応の規程整備を扱った記事にまとめています。
社労士事務所で起きやすい3つの失敗と回避の考え方
一つ目は、条番号の混入です。点検シートの下書きをAIに作らせた際、確認項目の根拠として実在しない条番号や様式番号が添えられ、担当者が確認せずに顧問先へ提出する。点検業務は根拠の正確さが価値の中核にあるため、ここが崩れると業務そのものの信頼が揺らぎます。回避策は工程側です。前節の型で識別子の出力を禁じ、条文は人が原典から補う分業にしておけば、混入経路が閉じます。
二つ目は、AIの所見をそのまま報告書に載せるケースです。突合の候補出しをさせたところ、出力に適合・不適合の評価が混じり、それを整形して報告書にしてしまう。点検の結論は社労士の判断であって、AIの出力ではありません。回避策は、プロンプト側で評価を禁じることと、報告書の作成工程を下書きと切り離すことの二段構えです。
三つ目は、個人特定情報の残存です。勤怠データを投入する際、従業員氏名や社員番号が列に残っている。悪意ではなく、集計ファイルの列構成を確認していないだけで起きます。回避策は、投入前の列チェックを機械的に済ませる仕組みを置くことです。投入用のテンプレートを事務所で一つ作り、そこに貼り替えてから使う運用にすれば、確認を人の注意力に頼らずに済みます。
費用と工数、そして誰が運用を持つか
費用はライセンス費と構築工数の二本立てです。生成AIの法人向けプランは価格改定が頻繁なため、見積もりの際は各社の料金ページの表示日付を添えて記録する運用が安全です。人事労務システムに付随するAI機能は、プランに含まれる場合と別課金の場合があり、既契約の内容確認から始めるのが順序として効率的です。
構築工数は事務所規模で変わります。参考として、社労士2名と担当者4名で顧問先60社程度の体制を想定すると、点検様式の設計に2日、投入用テンプレートの作成に1日、プロンプト型の作成と検証に2日、規程の起草と読み合わせに1日という組み立てになります(根拠: 統計や調査ではなく、本記事の7項目と3工程を分解した試算です。事務所ごとに変動します)。点検様式は一度作れば全顧問先で使い回せる資産になるため、初期に厚く時間を割く価値がある部分です。
体制で決定的なのは、誰が運用を持つかです。所長が兼務すると年度更新や算定基礎の時期に更新が止まります。担当者の中堅が様式とプロンプト型の持ち主になり、法改正のたびに様式を更新する形にすると継続します。判断が必要な論点だけを所長に上げる構造にしておけば、権限と負荷を分けられます。
効果の測り方も先に決めます(根拠: 以下は前段と同じ試算の考え方です)。点検1社あたりの所要時間、指摘事項の件数とそのうち顧問先が実際に改善した件数、報告書作成の時間の三つを導入前に2週間実測し、導入後に同じ指標で比べる。実測なしに削減効果を語ると、社内の合意形成が印象論になります。加えて、点検業務を報酬にどう乗せるかの設計も並行して考える対象です。工数が下がった分をそのまま値下げに吸われる展開を避けるには、点検の範囲と頻度を商品として定義しておく作業が先に来ます。
業務の輪郭が条文で明確になると論点はどこへ移るか
第一に、品質の基準です。条文が業務の範囲を示しても、点検の深さや様式は各事務所に委ねられます。同じ労務監査の名前で、深さの異なるサービスが並ぶ状況が想定され、何をどこまで見たのかを顧客に説明できる形で残せるかが差になる可能性が論点になります。
第二に、他士業との境界です。点検の過程で法的評価に踏み込む場面が出てくると、どこまでが社労士業務でどこからが弁護士の領域かの線引きが問われます。この線引きは従来から存在する論点ですが、点検業務の輪郭が明確になったことで、実務で意識される頻度は上がると見込まれます。
第三に、AIとの分担の記録です。点検の一部にAIを使ったこと自体は問題の所在ではありませんが、成果物のどこに人の判断が入っているかを示せる形にしておく実益は増えます。工程表と記録が、そのまま説明資料になります。全国社会保険労務士会連合会が公表する会員向けの資料や研修と併せて追いかけておくと、実務側の相場観が掴めます(参考: 全国社会保険労務士会連合会)。
よくある質問
労務監査の明記はいつから施行されていますか
改正法の公布の日からです。改正法は法律第七十七号として令和7年6月25日に公布され、附則は公布の日からの施行を原則としたうえで、第26条の改正規定と第2条の2の改正規定にだけ別の施行日を定めています(出典: 衆議院 社会保険労務士法の一部を改正する法律)。労務監査に関する第2条第1項第3号の改正は、この例外に含まれていません。
会計監査のような制度が新設されたのですか
条文の構造から読み取れるのは、そうではないという点です。監査に関する文言は独立の号ではなく、相談・指導を定める第2条第1項第3号の括弧書きとして加えられています(出典: e-Gov法令検索 社会保険労務士法)。制度としての監査の枠組みではなく、業務の範囲が条文上で明確になった形です。
改正で第1条の性格が変わったと聞きました
条見出しが社会保険労務士の使命に置き換わりました。改正法は第1条を全部改め、社会保険労務士が適切な労務管理の確立及び適正な労働環境の形成に寄与することを使命とする旨を定めています(出典: 衆議院 社会保険労務士法の一部を改正する法律)。
点検業務のどこまでAIに任せられますか
様式の下書きと突合の候補出しまでが現実的な範囲です。点検の結論と顧問先への報告は社労士の判断であり、本記事のプロンプト型では出力側で評価を禁じています。この切り分けを工程表に明記しておく運用が、成果物の性質を保つうえで効きます。
顧問先の勤怠データを生成AIに入れてよいのでしょうか
一般的な答えを置くことはできません。社会保険労務士法第21条は秘密を守る義務を定めており(出典: e-Gov法令検索 社会保険労務士法)、個別の利用が正当な理由の範囲に収まるかは事案ごとの判断です。実務では、匿名化・集計化した形でしか投入しない方針の事務所と、顧問先ごとに個別合意を取る方針の事務所の両方があります。
まず何から着手するとよいですか
点検様式の設計からです。様式がないままAIを使うと、出力の形が毎回変わって比較ができません。様式は一度作れば全顧問先で使い回せる資産になり、AIの導入可否にかかわらず事務所に残ります。
顧問先にどう説明すると伝わりますか
条文が業務の範囲を明確にしたという事実の共有から始めるのが素直です。制度が新設されたわけではないため、これまで相談・指導として行ってきた点検の輪郭が条文上で明示された、という説明が公表資料の記載に沿います。そのうえで、点検の範囲と頻度を具体的な商品として提示する形が、話を前に進めやすい組み立てです。
参考文献
- 衆議院 社会保険労務士法の一部を改正する法律(法律第七十七号)
- e-Gov法令検索 社会保険労務士法(第1条 使命/第2条 業務/第21条 秘密を守る義務)
- e-Gov法令検索 労働基準法(第36条 時間外及び休日の労働/第89条 作成及び届出の義務/第106条 法令等の周知義務)
- 全国社会保険労務士会連合会
- 厚生労働省 社会保険労務士制度
※士業のチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴事務所の業務に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
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本記事の作成体制について
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