AIアシスタントとは、就業規則等をもとに従業員の問い合わせに答える機能のことです。
顧問先の人事担当者から届く質問のうち、就業規則を開けば分かるものはどれくらいあるでしょうか。SmartHRが公表した調査では、労務担当者が受ける問い合わせのうち計88%がマニュアルや規定を見れば分かる内容だったとされています(出典: SmartHR AIアシスタント15万回突破のリリース)。この記事では、SmartHRのAIアシスタントを題材に、社労士事務所が顧問先の一次対応をどう設計し直すか、そのときに残る守秘義務と規程上の論点は何かを7つに分けて扱います。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、製品の仕様はベンダーの公表資料で確認しています。
1年で15万回、900社に広がった一次対応の自動化
SmartHRのAIアシスタントは、SmartHR上にアップロードされた就業規則や社内マニュアル、各種手続きに関する文書をもとに、従業員からの問い合わせにAIが即時回答する機能です。2025年7月に提供が始まり、約1年で累計の回答回数が15万回を突破し、導入企業数は900社に達したと発表されています(出典: SmartHR プレスリリース)。
社労士の視点で注目したいのは、この機能が置かれた文脈です。SmartHRは、問い合わせ対応や社内ルールの周知、申請内容の確認、未対応者への督促といった、正式な業務として定義されにくい作業を名もなき業務と呼び、これが管理部門の負荷になっていると整理しています。そのうえで前述の調査結果を示し、規定を見れば分かる問い合わせが大半を占める実態を挙げています(出典: SmartHR プレスリリース)。
もうひとつの論点は、パソコンを持たない従業員です。スマートフォン向けアプリからも利用できるため、店舗や工場、拠点で働く従業員が担当者を介さずに情報を確認できる、という設計になっています。従来この層への情報伝達は店長や拠点長を経由しており、中間管理職に負荷が集中していた、という指摘も同じリリースに含まれています(出典: SmartHR プレスリリース)。
公表されている活用事例からは、効果の出方が読み取れます。約4,000名規模のコスモ石油販売では、電話問い合わせによる業務中断が減り、やむを得ない休日対応もほとんどなくなったとされています。約1,800名のうち77%をパート・アルバイトが占める俺の株式会社では、新しい就業規則をアップロードし、雇用形態や勤務場所に応じて公開範囲を設定したうえで運用しています(出典: SmartHR プレスリリース)。SmartHR社内の実証では、2025年8月の1カ月間で約1,500名が利用し、問い合わせ対応が全体で約10%、総務・情報システム関連で約20%削減され、200件以上のドキュメントをアップロードした後も回答成功率は82%を維持したと報告されています(出典: SmartHR プレスリリース)。
これらの数字は導入企業側の効果です。社労士事務所にとっての意味は別のところにあります。顧問先が一次対応を自動化すると、事務所に上がってくる質問の性質が変わる、という点です。
顧問先が一次対応を自動化すると、事務所の仕事はどう変わるか
顧問先の従業員からの質問が社内で解決されるようになると、社労士事務所に来る相談は、規定に書いていないケース、規定と実態がずれているケース、規定そのものを変える必要があるケースに寄っていきます。これは事務所にとって悪い話ではありません。むしろ、時間単価の高い仕事の比率が上がる方向の変化です。
ただし、それが自動的に起きるわけではありません。前提として、顧問先の就業規則や社内規程が、読んで意味が通る状態になっている必要があります。AIが参照する元の文書が古いまま、あるいは実態と乖離したままだと、AIは古い内容をそのまま返します。ここに社労士の仕事が生まれます。
具体的には3つの局面が想定できます。第一が、AIに読ませる前の規程の整備です。改正への追随が止まっている条項、複数の版が混在している文書、規程と運用マニュアルの重複といった問題を、事前に片付ける作業になります。就業規則の作成と届出の義務については労働基準法第89条が定めており、周知については同法第106条に規定があります。AIアシスタントによる回答が周知の手段としてどう位置づけられるかは、今後の実務で整理が進む論点になります。
第二が、AIの回答の点検です。導入後しばらくは、AIがどう答えているかを人が確認する期間が必要になります。ここを顧問先の担当者だけに任せると、労務の観点で危うい回答が見過ごされる可能性があります。社労士がスポットで回答ログを点検する、という関与の仕方が考えられます。
第三が、規程改定のトリガー検知です。AIが答えられなかった質問、あるいは繰り返し聞かれている質問は、規程に書かれていない論点の在りかを示します。これを規程改定の材料として使う流れを作ると、顧問業務の中身が変わってきます。社労士事務所の生成AI導入そのものの進め方は社労士事務所の生成AI最小導入 30日で1業務に絞る7ステップに整理しました。
この3つの局面に共通するのは、社労士の関与が導入前と導入後に分かれる点です。導入前は文書を整える仕事、導入後は運用を回す仕事になります。顧問料の設計を導入前だけで済ませてしまうと、導入後の点検が誰の仕事でもなくなり、時間の経過とともに参照文書が陳腐化していきます。関与のかたちを最初に決めておくことが、顧問先にとっても事務所にとっても効きます。
なお、一次対応の自動化が進んでも、労使間で見解が分かれる場面がなくなるわけではありません。むしろ、規程に書かれている内容が全従業員に等しく届くようになることで、これまで曖昧なまま運用されていた部分が表面化する、という現象が起こり得ます。規程と実際の運用が違っていた場合、その差が従業員から指摘されるようになるためです。導入は、労務管理の実態を可視化する装置でもある、という見方をしておくと、顧問先への説明の組み立てが変わります。
顧問先支援の実装6ステップ
ここからは手順です。有資格者である社労士が最終確認する工程を、第4ステップに固定しています。
第1ステップは、顧問先の文書棚卸しです。就業規則、賃金規程、育児介護休業規程、各種マニュアル、様式の一覧を作り、最終改定日と根拠となる法改正を並べます。この作業自体は生成AIでは代替できません。原本を確認する必要があるためです。
第2ステップは、AIに読ませる文書の選定です。すべてをアップロードすると、古い版や下書きが混ざり、回答の質が落ちます。前掲の事例でも、雇用形態や勤務場所に応じて公開範囲を設定する運用が紹介されていました(出典: SmartHR プレスリリース)。誰に何を見せるかを設計する工程は、社労士の知見が効く部分です。
第3ステップは、想定質問集の作成です。従業員から実際に来そうな質問を集め、期待される回答の要点を並べます。ここで生成AIを使うと、抜けの少ない質問集を短時間で作れます。
あなたは日本の人事労務実務に詳しい編集アシスタントです。
以下の「規程の目次」と「事業所プロファイル」をもとに、
従業員から寄せられそうな質問を30本、想定質問集として作ってください。
制約:
- 法的な結論や条番号は書かないこと。質問文だけを作ること
- 雇用形態(正社員/パート/有期)ごとに分けて並べること
- 実在の企業名・個人名を含めないこと
- 規程の目次に無いテーマも、実務上よく聞かれるものは「規程に記載なし」と付して挙げること
規程の目次:
{見出しレベルのみを貼り付け。本文や固有名詞は入れない}
事業所プロファイル:
{業種/規模帯/雇用形態の構成比/拠点の有無}
第4ステップは、社労士による確認です。想定質問集に対して、規程のどこで答えられるか、答えられないかを仕分けます。答えられない質問は、規程改定の候補として顧問先に提示する材料になります。ここは有資格者の判断が入る工程です。
第5ステップは、試験運用と回答ログの点検です。一部の部署や拠点に限定して開放し、実際の質問と回答を確認します。労務の観点で危うい回答が出た場合、元の文書の記述を直すか、公開範囲を調整するかで対応します。
第6ステップは、定期点検の設計です。法改正のたびに規程を直し、AIが参照する文書も差し替える、という運用サイクルを顧問契約に組み込みます。ここを決めておかないと、導入直後だけ整備されて、あとは放置される状態になります。
以下の「未回答質問リスト」を、規程改定の優先度で3段階に分類してください。
条件:
- 分類の基準は、(A)法令上の記載事項に関わるもの (B)運用の明確化で足りるもの
(C)当面は個別対応で足りるもの の3つ
- 各質問について、なぜその分類にしたかを1行で書く
- 法的な結論は断定せず、確認が必要な論点として書く
- リストに無い項目を追加しない
未回答質問リスト:
{第5ステップで社労士が確認した未回答質問のみを貼り付け}
2本のプロンプトに共通するのは、生成AIに法的な判断をさせていない点です。質問を集める作業と、分類の下書きを作る作業だけを任せ、判断は社労士が行う構造にしてあります。
6つのステップのうち、生成AIが工数を削るのは第3ステップと、第6ステップの分類作業だけです。第1ステップの棚卸し、第4ステップの仕分け、第5ステップのログ点検は、いずれも人が判断する工程で、短縮できません。導入の提案をするときにこの内訳を先に示しておくと、顧問先の期待値がずれません。AIを入れれば手離れする、という理解のまま進めると、点検が止まったときに責任の押し付け合いになります。
進める順番としては、第3ステップまでを先に回して、想定質問集を顧問先に見せるところまで持っていくのが実務的です。質問集は、顧問先の担当者にとって自分たちの現場が言語化された資料になるため、導入の意思決定を後押しする材料になります。逆に、最初から全文書のアップロードを目指すと、棚卸しの途中で止まりやすくなります。
守秘義務と規程上の論点をどこに置くか
社会保険労務士については、社会保険労務士法第21条が秘密を守る義務を定めています。顧問先の就業規則や賃金規程、従業員の相談内容を外部のAIサービスへ入力する行為は、この条文の枠組みと、顧問契約上の守秘条項の両面から検討する論点になります。
事務所として決めておきたいのは3点です。第一に、入力してよい情報の粒度です。前掲のプロンプトで規程の目次だけを入力し、本文と固有名詞を入れないよう指定しているのは、この線引きを守るためです。顧問先名、事業所名、従業員の氏名、具体的な賃金額を含む情報は入力しない、という基準まで下ろしておくと、現場で迷いません。
第二に、使うツールとプランの確認です。顧問先のSmartHR上で完結する作業と、事務所が自前で契約している生成AIに入力する作業は、データの流れが異なります。前者は顧問先とベンダーの間の契約の話であり、事務所の責任範囲とは別です。後者は事務所の責任です。ここを混同すると説明が破綻します。事務所側で使う汎用の生成AIについては、API経由の入力を既定でモデル学習に用いない旨がOpenAIのAPI Data Usage Policiesに、商用利用時の取扱いがAnthropicの商用利用規約に記載されています。
第三に、顧問先への説明です。AIアシスタントの回答は社内文書に基づく一次対応であって、社労士の助言ではない、という位置づけを顧問先と共有しておく必要があります。従業員がAIの回答を根拠に行動し、それが実際の取扱いと食い違った場合、責任の所在が曖昧になります。導入時の説明資料に、AIの回答で解決しない場合の相談ルートを明記しておくと、後の紛争を減らせます。
規程への落とし込みとしては、社内規程にAI利用に関する条項を置く方法があります。回答の位置づけ、参照文書の管理責任者、更新の頻度、AIの回答と規程が食い違った場合はどちらが優先するかを書いておく形です。人事領域のAIエージェントが社労士業務に与える影響はWorkOnの人事AIエージェントが社労士業務に与える影響と6つの確認軸でも扱っています。
つまずきやすい3つの落とし穴
1つ目は、古い規程をそのままアップロードしてしまうことです。AIは参照した文書に忠実に答えるため、古い内容が全社に配信される結果になります。回避策は、アップロード前に社労士が最終改定日と改正への追随状況を確認する工程を、顧問契約の中に明示的に置くことです。就業規則のたたき台づくりにAIを使う際の工程は社労士向け生成AI活用ガイドブックを実務検証 就業規則たたき台の7工程にまとめました。
2つ目は、公開範囲の設計を省くことです。雇用形態や拠点によって適用される規程が異なる場合、全員に同じ文書を見せると、自分に適用されない条件を根拠に判断する従業員が出ます。回避策は、雇用形態と勤務場所で公開範囲を切る設計を、導入時に決めておくことです。
3つ目は、導入後の点検が止まることです。法改正のたびに規程を直しても、AIが参照する文書を差し替えなければ意味がありません。回避策は、規程改定の作業手順の最後に、参照文書の差し替えと動作確認を組み込むことです。作業手順に入っていないことは、実行されません。
費用と工数、そして誰が持つか
費用は顧問先側と事務所側に分かれます。顧問先側はSmartHRの利用料に含まれる部分と、追加のオプション費用の構成をベンダーに確認する形になります。事務所側の費用は、汎用の生成AIのライセンスと人件費が中心です。
工数の重心は、第1ステップの文書棚卸しと、第4ステップの社労士による確認です。棚卸しは顧問先の担当者と一緒に進める必要があり、規模と文書の散らかり具合で幅が出ます。逆に、想定質問集の作成と未回答質問の分類は生成AIで短縮できるため、事務所側の作業時間の中では比較的軽い部分になります。
報酬設計としては、既存の顧問料の範囲でフォローする形と、規程整備とAI導入支援をスポット業務として切り出す形が考えられます。文書の棚卸しと規程改定まで踏み込むなら、後者のほうが工数と報酬が合います。体制としては、顧問先の担当者、事務所の担当スタッフ、最終確認を行う社労士の3役を分けておくと、記録を追える形になります。
一次対応の自動化が社労士業務の何を動かすか
顧問先で一次対応が自動化されると、社労士事務所に上がる相談は難易度の高いものに寄ります。これは単価の面では追い風ですが、同時に、事務所側の対応力が問われる変化でもあります。規定に書いていない論点への回答は、条文と行政の解釈と過去の運用を突き合わせる作業になり、経験の浅いスタッフだけでは処理できません。事務所内の育成計画に影響が出る可能性があります。
もうひとつの論点は、顧問先の側でAIが答えた内容の記録です。誰が何を聞き、AIがどう答えたかのログは、後から見れば労務管理上の重要な記録になり得ます。労使間で解釈が分かれたとき、この記録が参照される場面が出てくるはずです。顧問先に対して、ログの保存期間と参照権限を決めておくよう促すことは、社労士の側から提案する価値のある論点になります。
よくある質問
AIアシスタントの回答は社労士の助言に置き換わりますか
置き換わる性質のものではありません。SmartHRの説明でも、この機能はアップロードされた社内文書をもとに回答するものと位置づけられています(出典: SmartHR プレスリリース)。個別の事情を踏まえた判断や、規程に書かれていない事項への対応は、引き続き有資格者の領域として残ります。
顧問先の就業規則を事務所の生成AIに入力してよいですか
事務所として先に線を引く問題です。社会保険労務士法第21条の秘密を守る義務と、顧問契約上の守秘条項の両面から検討する論点になります。実務上は、顧問先名や事業所名を落とし、目次や条見出しだけを入力する運用から始めると、検討が単純になります。
AIの回答が法令上の周知にあたりますか
周知の要件との関係は整理が必要な論点です。労働基準法第106条は法令等の周知義務を定めていますが、AIによる回答がその手段としてどう評価されるかは、公表資料からは読み取れません。現時点では、従来の周知手段を維持したうえで、AIアシスタントは補助的な確認手段として位置づける運用が無難です。
小規模な顧問先にも導入を勧めるべきですか
規模より、問い合わせの発生量と従業員の勤務形態で判断するほうが実務に合います。パソコンを持たない従業員が拠点に分散している事業所では、規模が小さくても効果が出やすい構造があります。逆に、全員が同じ事務所にいて口頭で解決できる規模では、投資に見合わない場合もあります。
導入後に社労士が関与し続ける必要はありますか
規程の改定と参照文書の差し替えが続く限り、関与の余地は残ります。むしろ、導入して終わりにすると、時間の経過とともに古い内容が回答され続ける状態になります。定期点検を顧問契約の中に位置づけておくことが、顧問先にとっても事務所にとっても合理的です。
回答が間違っていた場合の責任は誰にありますか
契約関係によって整理が分かれる論点です。AIが参照した社内文書の内容に誤りがあった場合と、文書は正しいがAIの回答が的を外した場合とでは、議論の筋が変わります。導入時に、AIの回答の位置づけと相談ルートを社内に明示しておくことが、事後の混乱を減らす現実的な備えになります。
他社の人事労務システムでも同じ考え方が使えますか
大枠は共通します。社内文書を参照して従業員の質問に答える仕組みである以上、参照文書の鮮度管理、公開範囲の設計、回答ログの点検という3点は、製品を問わず必要になります。製品ごとに異なるのは、公開範囲の設定粒度と、外部サービスとの接続の可否です。
参考文献
- SmartHR AIアシスタントの自動回答が15万回を突破(プレスリリース)
- SmartHR AIアシスタント 機能ページ
- e-Gov法令検索 労働基準法
- e-Gov法令検索 社会保険労務士法
- OpenAI API Data Usage Policies
- Anthropic Commercial Terms of Service
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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