事務所発表値とは、事務所が自らの業務で得た数字として公表した値のことです。
生成AI関連の特許相談が前年の1.5倍になった、という弁理士事務所の発表が2026年9月に出ました。数字の大きさは目を引きますが、他の事務所が自分の業務の判断に使うには、数字の読み方を整えておく必要があります。この記事では、発表の内容を一次情報で整理し、事務所発表値を読むときの7手順を示します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で確認しています。特定の事務所の評価は行わず、数字の読み方に絞って解説します。
発表の内容
THP国際特許商標事務所(埼玉県さいたま市)は、2026年9月18日にプレスリリースを配信しました。リリースは、社内に知的財産部門を持たない中小企業からの、生成AI関連の特許出願に関する相談が、前年同期比150%(1.5倍、2026年8月時点)になり、過去にない水準になったと述べています(出典: @Press 配信ページ(PC Watch掲載))。
同じリリースは、生成AI関連の発明は他との違いを示しにくく、特許庁で拒絶されることが多いと述べ、事務所が通算で1,000件以上の拒絶理由通知に対応してきたことを挙げています。また、2026年4月時点の特許査定率として96.1%を示しています。さらに、知財融資、つまり特許などの知的財産を銀行の融資の評価につなげる支援にも取り組んでいると説明しています(出典: 同上)。
一方で、リリースは、150%の基準となる件数や、調査の対象となった範囲を示していません。また、相談件数と依頼や申請の件数が、同じ数字として扱われている箇所もあります。つまり、リリースの数字は、事務所自身が公表した値であり、第三者が検証した値ではありません(出典: 同上)。
なぜ事務所発表値の読み方を整えるのか
弁理士の実務家にとって、市場の動きを知ることは、事務所の方針を考えるうえで重要です。生成AI関連の相談が増えているなら、体制や得意分野の見直しにつながるかもしれません。しかし、発表値をそのまま事務所の方針に使うと、実態と異なる判断をしてしまうおそれがあります。
発表値には、発表者の関心が反映されます。広報の文脈では、印象的な数字が選ばれ、前提が省略されることがあります。これは発表者を疑うということではなく、数字を読む側が、前提を補って読む必要があるということです。以下の7手順は、そのための整理です。
事務所発表値を読む7手順
手順1 数字の種類を分ける
相談件数、依頼件数、出願件数は、別の数字です。相談は増えても、依頼に至る割合は変わるかもしれません。リリース内でも、相談と依頼が近い意味で使われている箇所があります(出典: @Press 配信ページ(PC Watch掲載))。どの数字について語られているのかを、まず特定します。
手順2 基準となる件数を探す
前年同期比の増加率は、前年の件数が少なければ、小さな増加でも大きな率になります。リリースには基準となる件数が書かれていないため、150%という率だけでは、実際の増え方の大きさは分かりません(出典: @Press 配信ページ)。基準件数が不明な場合は、不明と記録します。
手順3 対象範囲を確認する
数字の対象が、事務所に来た相談なのか、市場全体なのかを区別します。リリースの数字は、その事務所に寄せられた中小企業からの相談に関するものです。市場全体の傾向を直接示す数字とは扱えません。他の事務所や公的統計と照らして、傾向を確認する必要があります。
手順4 比較する期間を確認する
前年同期比は、比べる期間によって見え方が変わります。リリースは2026年8月時点としていますが、どの期間と比べたのかの詳細は示していません(出典: 同上)。期間が不明な場合は、季節要因や一時的な出来事の影響を排除できません。
手順5 事務所自身の成績の数字は別に読む
通算1,000件以上の拒絶理由通知への対応や、96.1%の特許査定率は、事務所自身の業務実績の発表です(出典: @Press 配信ページ)。計算の分母や、対象とした期間、案件の選び方が示されていなければ、他の事務所の数字と比べることはできません。特許査定率は、案件の難しさや出願前の選別の方針によっても変わります。
手順6 公的統計や一次情報と照らす
発表値だけで判断せず、公的な統計と照らします。特許庁が公表する出願状況や審査の統計は、一次情報として使えます。公的統計と発表値の方向が一致するかを見ることで、事務所発表値が市場の傾向をどの程度示しているかの手がかりになります。見つからない場合は、見つからなかったことを記録します。
手順7 自事務所の数字を同じ形式で測る
最後に、自事務所で同じ種類の数字を測ります。生成AI関連の相談件数、依頼件数、拒絶理由通知への対応件数を、期間を決めて記録します。自事務所の数字があれば、他の事務所の発表値と、同じ基準で比べられます。測っていない数字は、比べようがありません。
数字の背景を補って読む 三つの観点
発表値を読むときは、数字そのものに加えて、数字が生まれた背景を補って読みます。観点は三つあります。
一つ目は、発表者の事業との関係です。生成AI関連の特許を強みとする事務所にとって、相談の増加は事業の方向性と一致する情報です。発表の意図を詮索する必要はありませんが、事業と関係の深い数字が選ばれて公表されている可能性は、頭に置いておきます。
二つ目は、相談者の層です。リリースの数字は、社内に知的財産部門を持たない中小企業からの相談に限られています(出典: @Press 配信ページ)。大企業の動向や、スタートアップの動向とは、別に読む必要があります。事務所の顧客層が異なれば、同じ傾向が当てはまるとは限りません。
三つ目は、生成AI関連という言葉の範囲です。生成AIを使って作られた発明なのか、生成AIそのものに関する発明なのかで、相談の中身は変わります。リリースの本文からは、この範囲の細かな区分が読み取れません。自事務所で数字を測るときは、この区分を決めてから記録を始めると、後で比較しやすくなります。
自事務所の記録を始めるときの設計
記録の設計は、難しくする必要はありません。相談を受けた日、相談者の層の区分、相談の分野、依頼に至ったかどうか、の四項目があれば、傾向を追えます。相談者の氏名や社名は、集計用の記録には入れません。
区分の定義は、最初に決めて、途中で変えないことが大切です。途中で定義を変えると、期間をまたいだ比較ができなくなります。定義を変える場合は、変更の日付と理由を記録に残し、変更の前後を別の系列として扱います。
月次で集計し、四半期ごとに所内で共有する程度の頻度が、負担と見通しのバランスが取りやすい運用です。集計の結果は、数字だけでなく、気づいた点を一言添えて残すと、後から読み返したときに意味が分かります。
整理を助けるプロンプト例
次のプロンプトは、手順1から手順4を、リリースの本文に当てはめて整理する補助です。
以下はプレスリリースの本文です。数字ごとに、「何についての数字か」「基準となる件数の記載」「対象の範囲」「比較する期間」の四項目を整理してください。本文に記載がない項目は推測せず「記載なし」と書いてください。数字の評価は書かないでください。
【本文】
(ここにプレスリリースの本文を貼り付ける)
もう一つは、自事務所の記録を整えるためのものです。
以下は、当事務所の生成AI関連の相談の記録です。月ごとに、相談件数、依頼に至った件数、拒絶理由通知への対応件数を整理してください。記録にない月は「記録なし」と書き、数字を補わないでください。依頼者の名前は含まれていません。
【記録】
(ここに匿名化した記録を貼り付ける)
出力は整理の補助であり、判断は弁理士が行います。依頼者の情報は入力しません。
守秘義務・規程上の論点
自事務所の数字を測る際には、依頼者の情報の扱いが論点になります。弁理士法第30条は、弁理士又は弁理士であった者が、正当な理由がなく、その業務上取り扱ったことについて知り得た秘密を漏らし、又は盗用してはならないと定めています。この条文はe-Gov法令検索の原文で確認しました。
件数を集計して外部に出す場合、依頼者を特定できる形になっていないかが、確認の対象になります。個人データの第三者提供については、個人情報保護法第27条が制限を定めています。集計した数字が、これらの規定との関係でどう整理されるかは、個別の事情で判断が分かれます。本記事は当てはめを行いません。
拒絶理由通知については、特許法第50条が、審査官が拒絶をすべき旨の査定をしようとするときに、特許出願人に拒絶の理由を通知し、意見書を提出する機会を与えることを定めています。この条文もe-Govの原文で確認しました。事務所が自らの対応実績を公表する場合は、個別の案件が特定されないかを確認する、というのが運用の一例です。
また、生成AIのツールに相談の記録を入力して集計する場合は、そのツールのデータの取り扱いを確認します。依頼者の情報を含む記録は、匿名化してから扱う、または入力しない運用が考えられます。
失敗例と回避策
一つ目は、リリースの150%という率(出典: @Press 配信ページ)を、市場全体の増加率として社内で共有してしまう例です。リリースの数字は一つの事務所の相談に関するもので、対象の範囲が異なります。回避策は、手順3のとおり対象範囲を確認することです。
二つ目は、特許査定率を、自事務所の目標値にしてしまう例です。分母や案件の選び方が分からない数字を目標にすると、評価を誤ります。回避策は、手順5のとおり別に読むことです。
三つ目は、発表値を、依頼者への説明にそのまま使ってしまう例です。第三者が検証していない数字は、説明の根拠として弱くなります。回避策は、出典を事務所の発表と明記し、公的な情報と併せて示すことです。
費用・工数・体制
自事務所の数字を測る工数は、記録の仕組みがあるかで大きく変わります。すでに案件管理システムに記録があれば、集計は比較的短い時間で済みます。記録が散らばっている場合は、まず記録の整備から始めます。費用は、新しいツールを使わなければ、ほとんどかかりません。体制としては、集計の担当者を決め、弁理士が数字の意味を確認する流れが考えられます。
今後の展望と編集部の考察
生成AI関連の発明は、特許の分野で注目が集まっており、相談の傾向を示す発表は今後も出てくると考えられます。数字を読む側が、基準件数、対象範囲、期間を問い返す習慣を持つことが、比較の前提になります。
リリースは、特許庁が金融機関による中小企業の知的財産の評価の仕組みを整えつつあるとも述べています(出典: @Press 配信ページ(PC Watch掲載))。この点は、特許庁の公表資料での確認が要確認です。知財融資の動きは、中小企業の知的財産への関心を左右する可能性があります。これは編集部の考察であり、特定の事務所への助言ではありません。
よくある質問
150%は市場全体の増加を示していますか
リリースの数字は、一つの事務所に寄せられた中小企業の相談に関するものです。市場全体の傾向を示す数字として扱うことはできません。
96.1%の特許査定率は他の事務所と比べられますか
分母や期間、案件の選び方が示されていないため、直接の比較はできません。
発表値は信頼できませんか
発表値は事務所自身が公表した値であり、第三者の検証は記載されていません。信頼できるかの判断は、前提を確認したうえで行います。
自事務所で何から測ればよいですか
生成AI関連の相談件数と依頼件数を、期間を決めて記録するところから始められます。
依頼者の情報を集計に使ってもよいですか
使ってよいかは、個別の事情で変わります。本記事は当てはめを行いません。弁理士が判断してください。
参考文献
関連記事: 未公開発明の生成AI先行技術調査 弁理士の7手順、AI特許ループ 弁理士の7つの判断軸
※士業のチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴事務所の業務に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
https://shigyonochikara.jp/contact/
本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
本記事には特定の資格者による監修は入っていません。個別の事案について法令の当てはめや手続の可否を判断する必要がある場合は、当該分野の有資格者にご相談ください。本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別具体的な法律判断・税務判断・労務判断を提供するものではありません。
記載内容に誤りを見つけられた場合は、お問い合わせよりご指摘ください。確認のうえ速やかに訂正し、訂正履歴を記事内に残します。編集方針の詳細は運営者情報をご覧ください。