社会保険の賃金要件撤廃と適用拡大 社労士が顧問先に示す試算7手順

社会保険の適用拡大で賃金要件(月額8.8万円)撤廃が見込まれています。社労士が顧問先企業への影響試算と説明をどう進めるか、生成AIを使った7つの手順とプロンプト例、守秘義務の論点を解説します。

社会保険の賃金要件撤廃と適用拡大 社労士が顧問先に示す試算7手順

賃金要件撤廃とは、短時間労働者の賃金による加入除外をなくす制度変更のことです。

厚生年金保険の賃金要件が、法律の公布から3年以内に撤廃される見込みになりました。本記事では、社労士がこの改正を顧問先企業にどう試算し、どう説明を進めるかを、生成AIを使った手順で解説します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しており、法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は厚生労働省の公表資料で確認しています。厚生労働省の資料によれば、企業規模要件は2027年10月に36人以上の企業へ広がり、2035年10月には企業規模の区分そのものを撤廃するまでの10年計画が示されています(出典:厚生労働省 被用者保険の適用拡大に関する資料)。

2026年、社会保険適用拡大はどこまで進んだか

短時間労働者への被用者保険の適用拡大は、2016年の従業員501人超企業から始まり、2022年10月に101人超、2024年10月に51人超へと段階的に広がってきました。適用拡大のたびに、それまで扶養の範囲で働いていた短時間労働者の一部が新たに被保険者になり、事務所側では資格取得届の件数が一時的に増える、という実務上の波が繰り返されてきています。現行の厚生年金保険法第12条は、週の所定労働時間が20時間未満であること、報酬が月額8.8万円未満であること、学生であることのいずれかに当てはまる短時間労働者を、被保険者としない適用除外の対象に定めています。

2025年6月13日に成立した社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律は、この枠組みをさらに動かします。厚生労働省の資料では、企業規模要件を2027年10月に36人以上、2029年10月に21人以上、2032年10月に11人以上、2035年10月に企業規模の区分そのものを撤廃する、という10年計画が示されています(出典:厚生労働省 被用者保険の適用拡大に関する資料)。個人事業所についても、2029年10月の施行時点で既に存在している事業所はしばらく対象外とされ、それ以降に新設された事業所から適用が始まる設計が示されています。

一方で、月額8.8万円の賃金要件は即日撤廃ではありません。厚生労働省は、全国の地域別最低賃金がどの都道府県でも時給1,016円を超える水準になったことを見極めたうえで、法律の公布から3年以内に廃止するとしています(出典:厚生労働省 社会保険の加入対象の拡大)。つまり撤廃の号令がいつ鳴るかは最低賃金の全国的な水準次第であり、事務所としては撤廃日そのものより先に、試算と説明の型を用意しておく段階にあります。企業規模要件と賃金要件という二つの軸が別々のタイミングで動く点は、顧問先への説明でも混同しやすいところなので、どちらの話をしているかを都度切り分けて伝える工夫が実務上の起点になります。

この賃金要件は、報道では106万円の壁という通称で語られることが多いところです(参考:前掲の厚生労働省 社会保険の加入対象の拡大が使う月額8.8万円の水準に由来する呼び名です)。これは、月額8.8万円のおおむね12か月分にあたる年収水準が、被用者保険に加入するかどうかの分かれ目になっていたことに由来します。健康保険の被扶養者認定で使われる130万円の壁とは制度上の位置づけが異なるため、顧問先への説明では、どちらの壁の話をしているかを最初に区別しておくと、質問への回答がぶれにくくなります。労働時間を延ばすかどうかを迷う従業員が、106万円の壁と130万円の壁を混同したまま相談してくるケースも珍しくないため、社労士側で整理した資料を用意しておく価値があります。

顧問先ごとの影響試算を生成AIと組み立てる7手順

ここからは、顧問先企業への影響試算と説明資料づくりに生成AIをどう組み込むかを、手順に分けて説明します。有資格者である社労士本人の最終確認を、手順のどこかで飛ばさない設計にしています。試算そのものは定型的な計算作業に見えますが、企業規模要件の到達時期は顧問先ごとに異なり、賃金水準や雇用契約の内容も一社ごとに違うため、生成AIに任せられるのは下書きの作成までで、最終的な数値の確定と説明の責任は社労士本人に残る、という役割分担を最初に事務所内で共有しておきます。

顧問先の側から見ると、この改正は保険料負担の増加という側面と、将来の年金額が増えるという側面の両方を持っています。どちらか一方だけを強調した説明にならないよう、試算の段階から両方の数字をセットで示せる形にしておくと、顧問先との対話がスムーズになります。

第一の手順は、対象者データの棚卸しです。給与計算システムやfreee人事労務、SmartHRなどから、現在は適用除外となっている短時間労働者の一覧を抽出します。氏名や生年月日といった個人を特定できる情報は、この段階ではまだAIに渡さず、事務所内のスプレッドシートに留めておきます。棚卸しの対象は、週の所定労働時間、月額の報酬見込み、雇用形態の3項目に絞ると、次の手順でのプロンプト設計がしやすくなります。

第二の手順は、生成AIへの入力設計です。実在の顧問先データではなく、架空の事業所名と人数だけを使ったプロンプトを組みます。以下は、企業規模要件のスケジュールに沿って対象者数の推移を試算させるプロンプト例です。

あなたは社会保険労務士事務所のアシスタントです。
架空の運送業A社(従業員42名、うち週20時間以上30時間未満の短時間労働者が9名)について、
2027年10月の企業規模要件(36人以上)到達時に新たに被保険者となる人数の見込みを、
現在の適用除外要件(厚生年金保険法第12条)を踏まえて整理してください。
社会保険料の労使折半見込み額は、標準報酬月額の仮置き表(別途貼付)を使って計算し、
前提とした仮定を箇条書きで明示してください。

第三の手順は、試算ロジックの検証です。生成AIが算出した対象人数や標準報酬月額の仮置き額は、社労士本人が算定基礎届の様式や直近の資格取得届と突き合わせ、最終の数値を確定させる工程を挟みます。AIの出力をそのまま顧問先へ渡す運用は、この段階で止めます。プロンプトに前提条件を書かせているとはいえ、AIが古い企業規模要件を引きずっていないか、標準報酬月額の等級表を最新のものに差し替えているかは、人の目で毎回確認する工程として残します。

第四の手順は、顧問先向け説明資料の下書きです。試算が固まったら、資料の骨子案を生成AIに作らせます。

上記の試算結果をもとに、顧問先企業の経営者向け説明資料の骨子を作成してください。
構成は、現状の制度、2027年10月以降のスケジュール、A社への影響見込み、
対応の選択肢(労働時間の調整、賃金体系の見直し、加入前提での人員計画)の4章立てとし、
断定的な法解釈は避け、選択肢を提示する書き方にしてください。

第五の手順は、説明会や個別面談の準備です。想定される質問への回答案を生成AIに下書きさせ、条文の当てはめが必要な部分は空欄にして、社労士本人が個別の事情を踏まえて埋める運用にします。従業員本人からの質問と、経営者からの質問では関心の置きどころが異なるため、想定問答は聞き手ごとに分けて用意しておくと、面談当日の対応がしやすくなります。

第六の手順は、適用スケジュールのモニタリングです。企業規模要件の従業員数は、厚生年金保険の被保険者数の直近12か月平均などで算定されるため、顧問先の増減員が続く時期は、毎月同じ条件でAIに再計算させ、基準日に近づくタイミングを見落とさないようにします。基準日の前後で人員計画を動かす顧問先もあるため、モニタリングの結果は単なる数値報告で終わらせず、経営判断の材料として渡す形に整えておきます。

第七の手順は、事務所内の運用記録です。どの顧問先の試算に、いつ、誰が生成AIを使ったかを記録に残します。この記録は、次章で説明する守秘義務の説明責任にも直結します。記録の粒度は、日付・顧問先名・使用ツール・入力したデータの範囲・確認者名の5項目程度に揃えておくと、後から事務所内で参照しやすくなります。

顧問先データの守秘義務と事務所規程で決めておく3つのこと

ここでは、生成AIを試算に使う前に事務所として決めておきたい論点を3つに整理します。

一つ目は、使うツールのデータ利用方針の確認です。Anthropicは、Claude Team・Enterpriseプランについて、消費者向けプランとは適用条件が異なる旨を明示しています(出典:Anthropic プライバシーポリシー更新)。事務所として法人向けプランを選ぶか、無料版や個人プランを業務に使わせないかは、この一次情報を確認したうえで決める論点です。

二つ目は、社労士自身の守秘義務の根拠です。社会保険労務士法第21条は、開業社会保険労務士や社会保険労務士法人の社員が、正当な理由なく業務上知り得た秘密を他に漏らし、または盗用してはならないと定めています。顧問先の賃金台帳や被保険者名簿は、この条文が対象とする秘密に含まれ得る情報です。クラウド型の生成AIに入力する前に、氏名や個人番号といった特定個人を識別できる項目をどこまでマスキングするかを、事務所として決めておく段階です。

三つ目は、顧問先への説明と同意の実務です。試算のために従業員の労働時間や賃金データを扱う以上、どの範囲のデータを、どのツールで、どう扱うかを顧問先にあらかじめ説明しておく運用が実務上の起点になります。事務所規程への落とし込み方は、生成AI利用規程を職種別にどう変えるかでも取り上げているので、あわせて参照してください。個人情報保護法まわりの論点は、個人情報保護法改正とAI・統計特例で整理しています。

四つ目は、AI利用記録の保存です。前章の第七の手順で触れた運用記録は、作っただけで終わらせず、事務所の文書保存規程に沿って一定期間保存しておく段階まで含めて設計しておきます。顧問先から後日、試算の根拠を尋ねられたときに、いつ・誰が・どの範囲のデータで試算したかをすぐに提示できる状態にしておくことが、監督官庁や顧問先に対する説明責任の土台になります。

試算現場で起きやすい失敗例と回避策

一つ目は、企業規模要件を古いまま入力してしまう失敗です。現行の51人という基準をプロンプトに固定してしまうと、2027年10月以降の36人基準や2029年10月以降の21人基準を反映しないまま試算が進みます(前掲の厚生労働省資料を参考にした前提条件です)。プロンプトのテンプレートを施行日ごとに書き換える運用にし、古いテンプレートを使い回さないようにしておきます。

二つ目は、個人を特定できる情報をそのまま入力してしまう失敗です。氏名や生年月日、個人番号を含む名簿をクラウド型の生成AIにアップロードすると、前章で触れた守秘義務との関係が問題になりかねません。試算段階では、通し番号などの仮名に置き換えたうえで入力する運用が実務的です。

三つ目は、事務所内でAI利用の記録が残らない失敗です。誰がどの顧問先の試算にAIを使ったかを追えないと、後日顧問先から問い合わせがあった際に、事務所として説明ができなくなります。前章で触れた運用記録は、この失敗を避けるための起点です。

四つ目は、試算から説明資料の配布までを、有資格者の確認なしに自動化してしまう失敗です。生成AIの出力をそのまま顧問先へ送る運用にしてしまうと、古い基準や誤った前提が混ざっていた場合に、事務所名で誤情報を発信することになりかねません。第三の手順で述べた検証工程は、業務のスピードを落とすためではなく、この失敗を防ぐための最後の砦として位置づけておきます。

導入にかかる費用・工数・体制

生成AIを使った試算業務の立ち上げには、ツールのライセンス費用に加えて、プロンプトのひな型づくりと、社労士本人による検証フローの設計という初期工数がかかります。ライセンス費用は各社の料金ページで随時更新されるため、本記事では具体額を挙げず、契約時に公式サイトで確認する前提とします。

工数の目安としては、対象者データの棚卸しと仮名化に事務スタッフの作業時間、試算ロジックの検証と説明資料の最終確認に社労士本人の時間がかかる、という役割分担になります。運用が軌道に乗るまでは、顧問先1社あたりの試算に、通常の給与計算業務より多めの時間を見込んでおく事務所が多いようです(参考例:立ち上げ期の目安として、通常業務の1.5倍程度を見込む運用例があります)。体制としては、AI利用の記録と検証フローを誰が持つかを、事務所内であらかじめ決めておく段階です。顧問先数が多い事務所ほど、優先順位づけのルールを先に決めておいたほうが、基準日が集中する時期の混乱を避けやすくなります。

役割分担をもう少し具体的に見ると、事務スタッフが担うのは、給与システムからのデータ抽出、仮名化、生成AIへの入力という前半の作業です。社労士本人が担うのは、AIが出した試算の検証、説明資料の最終チェック、顧問先との面談という後半の作業です。この境目をあいまいにしたまま運用を始めると、どの工程で誰が確認したかが曖昧になり、前章で触れた運用記録の粒度も揃わなくなります。役割分担表を先に1枚作っておくことが、結果的に立ち上げの工数を減らすことにつながります。

今後の展望と考察

企業規模要件が2035年10月に向けて段階的に消えていくということは、社労士にとって顧問先ごとの適用時期がばらつく期間が10年近く続くことを意味します。この間は、顧問先の従業員数の推移を継続的に追いかけ、基準日が近づいた顧問先から優先して試算と説明を進める、という優先順位づけの運用が論点になります。

賃金要件の撤廃時期が最低賃金の全国的な水準に連動している以上、撤廃日そのものを予測するより、撤廃が発表されたときにすぐ試算と説明に動ける体制を先に作っておくほうが、実務上は理にかなっています。生成AIを使った試算の型を今のうちに整えておくことは、その体制づくりの一部になります。事務所として型を持っておけば、賃金要件の撤廃が実際に発表された段階で、顧問先ごとの個別事情に集中して対応時間を割けるようになります。

この一連の改正は、社労士の業務の重心を、定型的な資格取得届の処理から、顧問先ごとの影響試算と説明という相談業務の側へ移す機会にもなり得ます。企業規模要件の到達時期が顧問先ごとにばらつく10年間は、毎年どこかの顧問先が基準日を迎える計算になるため、試算と説明の型を持っている事務所ほど、この期間を通じて相談対応の機会を安定的に確保しやすくなります。生成AIはその型を回すための道具であって、判断そのものを代わりに引き受けるものではない、という位置づけを事務所内で共有しておくことが、長い改正期間を乗り切るうえでの前提になります。

よくある質問

賃金要件はいつ撤廃されますか

厚生労働省の資料では、法律の公布から3年以内に、全国の地域別最低賃金がどの都道府県でも時給1,016円を超える水準になったことを見極めて撤廃するとされています(出典:厚生労働省 社会保険の加入対象の拡大)。具体的な撤廃日は、本記事の時点では確定していません。

企業規模要件はどう変わりますか

現行の51人超から、2027年10月に36人以上、2029年10月に21人以上、2032年10月に11人以上、2035年10月に企業規模の区分そのものを撤廃する10年計画が示されています(出典:厚生労働省 被用者保険の適用拡大に関する資料)。

顧問先の名簿を生成AIに入力してよいですか

氏名や個人番号を含む名簿をそのまま入力するかどうかは、事務所として決めておく論点です。社会保険労務士法第21条が定める秘密を守る義務との関係、利用するツールのデータ利用方針の両方を確認したうえでの判断になります。

個人事業所も対象になりますか

厚生労働省の資料では、2029年10月の施行時点で既に存在している個人事業所はしばらく対象外とされ、それ以降に新設された事業所から適用が始まる設計が示されています(出典:厚生労働省 被用者保険の適用拡大に関する資料)。

試算にどのAIツールを使えばよいですか

特定のツールを一律に薦めるものではありません。ChatGPT、Claude、Geminiのいずれも試算の下書きには使えますが、法人向けプランのデータ利用方針を確認したうえで選ぶ論点になります。Claudeについては、Team・Enterpriseプランが消費者向けプランと異なる条件になっている旨が公式に示されています(出典:Anthropic プライバシーポリシー更新)。

AIが出した試算結果をそのまま顧問先に渡してよいですか

AIが算出した数値は、社労士本人が算定基礎届などの様式と突き合わせて確認したうえで顧問先に渡す運用が実務的です。試算の下書きと、事務所として責任を持つ最終的な数値は分けて扱う運用にしておきます。

顧問先への説明はいつ始めればよいですか

基準日を待たずに、企業規模要件の到達が見えてきた段階で予告しておく運用をとる事務所が多いようです。予告があれば、顧問先側も労働時間の調整や賃金体系の見直しといった選択肢を検討する時間を確保しやすくなります。

複数の事業所で働く従業員はどう試算しますか

一つの事業所では適用除外でも、複数事業所の労働時間を合算すると要件を満たす場合があります。こうしたケースは定型的なプロンプトだけで判断が完結しにくいため、生成AIには論点の洗い出しまでを任せ、最終的な該当判断は社労士本人が個別に行う運用にしておきます。

参考文献

※士業のチカラでは、生成AIの導入支援から運用最適化まで、貴事務所の業務に合わせたカスタマイズ提案を行っています。無料相談(30分)も実施中ですので、お気軽にお問い合わせください。
https://shigyonochikara.jp/contact/

本記事の作成体制について

本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。

本記事には特定の資格者による監修は入っていません。個別の事案について法令の当てはめや手続の可否を判断する必要がある場合は、当該分野の有資格者にご相談ください。本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別具体的な法律判断・税務判断・労務判断を提供するものではありません。

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