監査におけるAI利用の証跡とは、AIに何をさせ誰が確かめたかの記録のことです。
監査調書を読み返したとき、どの手続でAIを使ったかが分かるでしょうか。この記事では、監査の工程に生成AIやデータ分析ツールを入れたときに残すべき記録を、誰がいつ何を確かめたかという単位で組み立て直し、品質管理の枠組みへつなぐ設計を整理します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政や職能団体の見解は各公表資料で確認しています。日本公認会計士協会はテクノロジー委員会研究文書第14号を公表し、監査証跡が紙媒体から電子データへ移行していると述べています。
監査証跡が電子データへ移り、分析の前提が変わった
前提から押さえます。監査で扱う証拠の形が変わり、それに伴って手続の記録の取り方も変わりつつあります。日本公認会計士協会のテクノロジー委員会は、2026年9月10日開催の常務理事会の承認を受けて研究文書第14号を公表したと同協会のページで案内しています。
同ページの説明によると、被監査会社のデジタル化の進展により、監査証跡は紙媒体から電子データへと移行しています。さらに従来の財務情報に加えて、マクロデータや来店者数、人流データといった非財務情報も監査に活用される場面が広がっているとされています。これは監査人が触れるデータの種類が増えたということであり、同時に、どのデータをどう処理したかを説明する責任も増えたということになります。
AIの位置づけについても同ページは触れています。AIの技術とサーバ環境の向上により、大量データの高速分析が現実のものとなり、監査の品質および効率性を大きく向上させる可能性が高まっている、という認識が示されています。可能性という言葉が使われている点は、実務者として読み落とさないほうがよい部分です。
AIそのものを正面から扱った文書としては、テクノロジー委員会研究文書第11号の監査におけるAIの利用に関する研究文書が先行して公表されています。この第11号を事務所内の規程へ落とす作業については、士業のチカラのJICPA研究文書第11号を事務所規程に落とす手順で扱っています。
ここで実務の側に立つと、論点はAIを使ってよいかどうかではありません。使うことを前提にしたとき、その使用をどう記録し、後から誰かが検証できる状態にどう保つか。そこが監査という業務の性質上、最初に詰まる場所になります。分析結果が正しく見えるほど、その結果に至る過程の記録が薄くなりやすいという逆説もあります。
日本公認会計士協会は公認会計士業務とAIのページでも、AIと会計士業務の関係について情報を掲載しています。職能団体が公表している資料を出発点に、自事務所の記録様式へ翻訳していく作業が、当面の実務課題になります。
もう一つ押さえておきたいのは、データ分析と生成AIが実務では混ざって使われている点です。仕訳データの全件突合のような処理は従来型の分析ツールの領域ですが、抽出結果の解釈や記載文案の作成には生成AIが使われる場面が出てきます。前者は同じ入力に同じ出力が返る再現性の高い処理で、後者はそうとは限りません。記録の設計を考えるとき、この性質の違いを一緒くたにすると、必要な記録項目を取り違えます。再現性のある処理は条件を残せば足りますが、出力が揺れる処理は出力そのものを残す必要が出てきます。
監査工程にAIを入れたときに残す7つの証跡設計
以下の七つは、監査手続にAIやデータ分析を組み込むときに記録として残す要素を整理したものです。記録の様式は事務所によって異なるため、項目の考え方として読んでください。監査人が判断し結論づける工程は、すべての設計で人に残します。
第一の設計は、使用したツールとバージョンの記録です。同じ製品名でもモデルが変われば出力が変わります。いつ、どのサービスの、どのモデルを、どの設定で使ったか。これが無いと、後から結果を再現しようとしたときに何も辿れません。
第二の設計は、入力データの範囲と加工履歴です。総勘定元帳の全期間を入れたのか、特定の勘定科目に絞ったのか。欠損値や外れ値をどう処理したか。データ分析の結論は前処理で大きく動くため、ここが空白だと分析結果の意味が確定しません。
第三の設計は、指示内容そのものの保存です。生成AIに与えたプロンプトは、手続の設計図に相当します。要約を求めたのか、異常検知を求めたのか、比較を求めたのか。文面をそのまま調書に添付する運用を採る事務所が出てきています。
あなたは監査補助者です。以下の仕訳データについて、
指定した観点で抽出のみを行ってください。
【観点】
・決算日から3日以内に計上され、かつ承認者と起票者が同一のもの
・金額が同一で借方勘定が異なるものの組み合わせ
【条件】
・判断や評価は行わず、該当する行の抽出結果だけを出力すること
・抽出条件に該当しない理由の推測は書かないこと
・出力には必ず抽出に用いた条件を再掲すること
・データの不足で判定できない行は「判定不可」として別に並べること
第四の設計は、出力の受け取り方の記録です。AIが返した内容をそのまま採用したのか、一部だけ使ったのか、棄却したのか。棄却した場合はその理由。監査調書で問われるのは採用した結論だけではなく、検討した範囲でもあります。
第五の設計は、確認者と確認方法の明示です。AIの出力を誰がどう検証したか。サンプルを抽出して原資料に当たったのか、別の手法で再計算したのか。この記録が、AIの出力を監査証拠として扱えるかどうかの分かれ目になります。ここが有資格者の判断が入る核心部分です。
第六の設計は、限界事項の記載です。使ったツールが何を見ていないか。学習データの時点、対応していないファイル形式、処理できなかったレコード。限界を書いておくと、後の期の監査人が同じ落とし穴に入りません。
あなたは監査チームの記録担当です。以下の分析について、
監査調書に添える「手続の限界」の記載案を作成してください。
【分析の概要】
{使用ツール、対象データ、実施した処理を記入}
【条件】
・実施した処理から論理的に言える限界だけを書くこと
・一般論としてのAIの限界は書かず、この分析に固有のものに限ること
・確認できていない事項は「未確認」と明記すること
・監査意見や評価に踏み込む表現は使わないこと
・箇条書きで6項目以内
第七の設計は、事務所レベルの集約です。個別の監査業務で残した記録を、事務所全体の品質管理の枠組みへ集める仕組みを置きます。どの業務でどのツールが使われているかが事務所として把握できていないと、ツールの不具合が判明したときに影響範囲を特定できません。AI利用ログの運用設計については、士業のチカラの事務所のAI利用ログと監査証跡をどう運用するかでも整理しています。
七つのうち、AIに任せられるのは記載案の下書きと分析処理そのものです。何を証拠として採用するか、手続として十分かの判断は監査人が行います。この線引きを工程として明文化しておくと、レビュー時の議論が具体的になります。
この七つを一度に全部入れる必要はありません。まず第一と第五、つまりツールの記録と確認者の明示だけを既存の調書様式に足してみる。それだけでも、後から手続を辿れるかどうかは大きく変わります。残りは運用しながら、実際にレビューで説明に詰まった箇所から順に足していくほうが、現場の抵抗が小さくて済みます。記録項目は増やすより先に、埋まることを優先したほうが結果的に機能します。
監査調書と被監査会社データをAIに渡す前に決めること
監査で扱うデータは、被監査会社から預かったものです。生成AIへの入力を検討するとき、守秘義務の観点は最初に置かれる論点になります。
公認会計士の守秘義務は公認会計士法第27条に規定があります。同条は、正当な理由がなく業務上取り扱ったことについて知り得た秘密を他に漏らすこと、盗用することを禁じる規定です。公認会計士でなくなった後も同様だと続きます。生成AIへのデータ入力がこの規定とどう関わるかの評価は、契約内容とツールの仕様を踏まえて有資格者が判断する領域になります。この記事はその判断を代替しません。
監査業務で注意を要するのは、守秘義務の相手方が複数存在する点です。被監査会社の情報であると同時に、監査手続の内容そのものが外部に出ると監査の有効性を損なう場合があります。どの勘定にどういう分析をかけているかは、被監査会社に対しても開示の範囲を考える対象になり得ます。生成AIへ手続の設計を入力するということは、その設計を外部のサービスへ渡すということでもあります。データだけでなく手続も保護の対象として扱う視点が、監査業務では要ります。
決めておきたい一つ目は、ツールの設置場所です。被監査会社のデータを外部のクラウドサービスへ送るのか、事務所が管理する環境内で処理するのか。監査法人の規模によっては、閉じた環境で動く分析基盤を用意する選択肢もあります。どちらを選ぶかで、以降の説明責任の重さが変わります。
二つ目は、事業者側の入力データの取り扱いです。OpenAIのエンタープライズ向けプライバシーに関する説明、Anthropicの商用利用規約、Microsoftの責任あるAIに関するドキュメントといった公式資料は、契約の確認を始めるときの出発点になります。事務所で使っているプランがどの条件に当たるかを、契約書と突き合わせておくことになります。
三つ目は、被監査会社への説明です。監査手続にAIを使うことを、いつ、どの範囲で伝えるか。監査契約の締結時に触れるのか、具体的な手続の段階で伝えるのか。監査の性質上、手続の詳細をすべて事前に開示するわけではない点も含めて、事務所としての整理が要ります。成果物へのAI利用をどこまで伝えるかという論点は、成果物へのAI利用をどこまで伝えるかで別途扱っています。
事務所の規程に落とすなら、入力可能なデータの区分、使用を認めるツールと環境、出力を監査証拠として扱う際の検証要件、記録の保存期間の四点が骨格になります。監査業務は事後に外部からレビューされる前提の仕事なので、記録の保存期間は特に曖昧にしないほうが、後で困りません。
記録設計を怠ったときに起きる3つの場面
一つ目は、翌期の監査で前期の分析を再現できない場面です。前期にAIで異常検知をかけ、その結果に基づいて手続を絞った。ところがモデルのバージョンも設定も記録に残っていない。今期に同じ処理をかけると違う結果が出るが、どちらが妥当か判断する材料がない。回避策は第一の設計で挙げたツールとバージョンの記録です。
二つ目は、レビュー段階で証拠の位置づけが揺れる場面です。AIの出力を調書に貼っただけで、誰がどう検証したかの記載がない。審査担当者から、これは何を根拠に採用したのかと問われ、担当者の記憶に頼って説明することになる。回避策は、確認者と確認方法を記載欄として様式に組み込み、空欄では次工程へ進めない形にすることです。
三つ目は、ツールの不具合が判明したときに影響範囲を追えない場面です。あるサービスで特定形式のデータが正しく読み込まれていなかったと後から分かったとき、どの業務でそのサービスを使ったかが事務所として把握できていないと、確認作業が総当たりになります。事務所レベルでの利用記録の集約が、ここで効いてきます。
記録設計の導入にかかる工数と、誰が持つか
追加費用の大半は、分析ツールのライセンスと環境構築に集中します。記録設計そのものは様式の整備が中心なので、費用よりも時間の問題になります。既存の監査調書様式へ記載欄を追加し、記入例を作り、チーム内で共有する。ここまでで、品質管理の担当者が数日を確保するイメージです。事務所の規模と既存様式の構成で振れ幅が大きいため、一つの業務で試してから展開するのが堅実です。
運用に入ってからの負荷は、記載欄の埋まり具合に左右されます。記入項目が多すぎると形骸化し、少なすぎると後から辿れません。最初は項目を絞って始め、実際にレビューで困った点を足していくほうが、定着しやすいという声があります。
教育の工数も見込んでおくことになります。記録様式を配っただけでは、記入の粒度がチームごとにばらつきます。良い記入例と不十分な記入例を並べた資料を一度作り、繁忙期前の研修で共有する。この初期投資を省くと、様式はあるのに中身が埋まらないという状態が続き、結局は品質管理部門が個別に指導して回ることになります。
体制面では、記録様式の所有者を決めておきます。監査チームごとに様式が分岐すると、事務所全体での集約ができなくなります。品質管理部門または担当パートナーが様式を一元管理し、変更は記録を残して行う。この運用がないと、数期後に、どの様式がいつ有効だったかが分からなくなります。
データアナリティクスの進展が、記録の粒度を押し上げていく
研究文書第14号が示すように、監査で扱うデータは財務情報の外側へ広がりつつあります。来店者数や人流データのような非財務情報を分析に組み込むとき、そのデータの出所と信頼性をどう評価したかが、調書に書かれるべき新しい項目として立ち上がってきます。
ここから予想される論点は二つあります。一つは、外部データの入手経路の記録です。誰から、どの時点のデータを、どういう条件で得たのか。財務データであれば被監査会社から直接という前提が置けますが、外部データはそうはいきません。もう一つは、分析手法の選択理由です。複数の手法が取り得る場面で、なぜその手法を選んだかを説明する必要が出てきます。
生成AIの側から見ると、記録の負荷そのものをAIが引き受ける方向も見えます。処理ログから調書の記載案を自動生成する、限界事項の候補を提示する、といった使い方です。ただし記録を作る作業をAIに任せるほど、その記録が正しいかを人が確かめる工程の重みが増します。効率化と検証可能性のどちらを優先するかは、事務所ごとの判断になります。
よくある質問
監査でAIを使ったことは調書に書く必要がありますか
記載の要否は適用される基準と事務所の方針によって決まる事項です。実務上は、手続の再現可能性とレビューの実効性を確保する観点から、使用したツールと検証方法を残す運用を採る事務所が出てきています。事務所の品質管理方針に沿って整理することになります。
研究文書第14号は何について書かれた文書ですか
監査へのデータアナリティクス活用に関する研究文書です。日本公認会計士協会の公表ページは、監査におけるデータアナリティクスの重要性および活用方法を明らかにし、会計監査の現場における有用性を示すことを目的としていると説明しています。
被監査会社のデータを外部のAIサービスに入れてよいですか
判断の前に確認したいのは、そのサービスが入力を学習に使う設定になっているかと、監査契約上の秘密保持の取り決めです。根拠条文は公認会計士法第27条にありますが、個別の入力の評価は契約と仕様を踏まえて有資格者が行う領域になります。
プロンプトを調書に残す意味はありますか
プロンプトは手続の設計そのものを表す記録になります。何を求め、何を求めなかったかが文面に残るため、後から手続の範囲を確認するときの一次資料として機能します。分析条件を口頭で伝えていた場合は、その内容を書き起こして残す運用が考えられます。
AIの出力は監査証拠として扱えますか
扱えるかどうかは、出力の検証方法によって変わる事項です。出力そのものではなく、出力を裏付けるために実施した手続が証拠となる、という整理をしている事務所があります。いずれにせよ、検証の内容を記録に残すことが前提になります。
小規模な監査事務所でも同じ設計が要りますか
規模によって様式の重さは変えられますが、ツールとバージョン、確認者、検証方法の三つは規模を問わず残す価値があります。人数が少ない事務所ほど属人化しやすく、担当者が変わったときに辿れなくなるリスクが高いためです。
記録の保存期間はどう決めればよいですか
監査調書の保存に関する既存の取り決めに合わせるのが出発点になります。AI利用に関する記録を調書の一部として扱うのか、別系統のログとして扱うのかで保存の枠組みが変わるため、事務所としてどちらに位置づけるかを先に決めることになります。
参考文献
- 日本公認会計士協会 テクノロジー委員会研究文書第14号「監査へのデータアナリティクス活用に関する研究文書」の公表について
- 日本公認会計士協会 公認会計士業務とAI
- 日本公認会計士協会 実務指針等公表物一覧(研究報告)
- e-Gov法令検索 公認会計士法第27条
- OpenAI Enterprise privacy
- Anthropic Commercial Terms of Service
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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