就業規則のAI活用とは、条文間の整合と記載の抜けを機械的に洗い出す作業のことです。
就業規則は分量が多く、条文の間の関係が入り組んでいます。人が全文を読み直して整合を確認する作業は、時間がかかるうえに見落としが起きます。この記事では、就業規則の作成と点検にAIを当てる場面を整理し、事務所として設ける確認の工程を書きます。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で確認しています。生成AIサービスの利用については個人情報保護委員会の注意喚起が判断の出発点になります。
作成より点検から入る理由
就業規則でAIを使う場合、作成より点検から入るほうが実務に合います。理由を整理します。
第1に、点検は出力の正しさを人が判断しやすい作業です。指摘された箇所を原文で見れば、その指摘が当たっているかどうかが分かります。作成の場合、出てきた条文が妥当かどうかの判断に手間がかかります。
第2に、点検で拾える不整合は、実際に事務所の手間になっている部分です。条文の間の食い違い、参照している条番号のずれ、用語の表記のゆれ。どれも見落とすと後で問題になり、探すのに時間がかかります。
第3に、作成にはひな形が要ります。事務所にはすでに使ってきたひな形があり、それを土台にする形が現実的です。ゼロから作らせる場面は多くありません。
第4に、就業規則には法令上の要件があります。作成及び届出の義務は労働基準法第89条に定めが置かれ、記載する事項が規定されています。要件の充足は判断の領域であり、機械に任せる部分ではありません。条文の内容は原典で確認したうえで、事務所として要件の一覧を持っておくと、確認が速くなります。
したがって、当てる順番は、点検、次に既存のひな形をもとにした書き換え、最後に新規の作成という形になります。事務所全体での使いどころは社労士のAI活用で扱っています。
点検で拾えるもの、拾えないもの
何が拾えるかを明確にしておくと、期待と結果がずれません。
拾えるのは形式の不整合です。条文の間で日数や期間の記述が食い違っている、参照先の条番号が存在しない、同じ事項を指す用語が複数使われている、条番号が飛んでいる。これらは機械的に見つかります。
拾えないのは、内容の妥当性です。定めの内容が法令に照らして適切か、事業所の実態に合っているか、運用できる規定になっているか。これらは判断の領域であり、社労士が行います。
この区別を所内で共有しておきます。点検に通したから確認が済んだ、という理解が広がると、内容の検討が形骸化します。点検はあくまで、人が見るべき箇所を絞り込む工程です。
もう一点、点検の結果が多く出てきたときの扱いも決めておきます。長い規程では、指摘が数十件に及ぶことがあります。すべてに対応しようとすると時間が足りません。実際に問題になり得る箇所から順に見る、という優先順位を人が付けます。表記のゆれのように、直さなくても運用に影響しない指摘も混ざります。
点検を回す頻度も決めておきます。改定のたびに回すのが基本ですが、改定がない年も一度は回しておくと、過去の改定で生じた不整合が拾えます。年に一度、顧問先ごとに点検を回す運用にしている事務所もあります。
点検に使う指示文の例です。
あなたは文書の整合を点検する役です。以下の就業規則を読み、次の観点で疑わしい箇所だけを
列挙してください。修正案は書かず、指摘のみを出力してください。
観点:
- 条文の間で日数・期間・回数の記述が食い違っている箇所
- 参照している条番号が、この規程内に存在しない箇所
- 同じ事項を指す用語が、複数の表記で使われている箇所
- 条番号が飛んでいる箇所、または重複している箇所
- 主語が抜けていて、誰の行為か読み取れない条文
出力形式:
- 観点 / 該当条文の番号 / 該当箇所の引用(20字以内) を1行ずつ
- 指摘がない観点は出力しないこと
法令に照らした適否の評価は書かないでください。
就業規則:
"""
(ここに貼り付け)
"""
出力された指摘は候補です。実際に問題かどうかは原文を見て判断します。的外れな指摘も混ざりますが、確認する箇所を絞り込む役には十分立ちます。指摘がゼロだったからといって、不整合がないとは限らない点にも注意します。
関連する規程との整合を見る
就業規則は単体で完結しません。賃金規程、育児介護休業規程、退職金規程。関連する規程との整合も確認の対象になります。
複数の規程を突き合わせる作業は、単体の点検より手間がかかります。人がやると、どちらの記述が正しいかを考えながら読むことになり、時間が伸びます。
機械に突き合わせを任せると、対応が取れていない箇所だけが出てきます。そのうえで、どちらを直すかを人が判断します。
あなたは文書の整合を点検する役です。以下の2つの規程を突き合わせ、対応が取れていない
箇所だけを列挙してください。
観点:
- 一方に定めがあり、他方に対応する定めがない事項
- 同じ事項について、記述が食い違っている箇所
- 参照している条番号が、参照先の規程に存在しない箇所
- 用語の表記が2つの文書で異なる箇所
条件:
- 法令に照らした適否の評価を書かないこと
- 改善の提案を書かないこと
- 対応が取れている箇所は出力しないこと
- 事業所は A社 のまま扱うこと
規程1:
"""
(ここに貼り付け)
"""
規程2:
"""
(ここに貼り付け)
"""
この作業は、改正への対応でも効きます。法令が変わって就業規則を直したとき、関連する規程の記述が置き去りになる事故がよく起きます。直した後に突き合わせを回しておけば、この抜けが拾えます。
改正の内容そのものは、厚生労働省の労働基準関係の公表資料で確認します。労働時間に関する内容は厚生労働省の労働時間に関する情報にまとまっています。改正内容の反映を機械に任せると、古い取扱いのまま出力される可能性があるため、反映は人が行います。
書き換えに使う場合の設計
既存のひな形をもとに、顧問先の実態に合わせて書き換える作業でも使えます。
渡すのは、事務所のひな形と、顧問先の実態に関する情報です。ひな形は、顧問先の情報を含まない状態のものを用意しておきます。過去の顧問先の就業規則をそのまま見本にすると、そこに含まれる事業所名や固有の事情ごと外部のサービスに渡すことになります。
指示文には、ひな形の条文の構成と番号を維持する条件を入れます。条番号が変わると、他の規程からの参照がずれます。
あなたは事務所の文書作成を手伝う役です。
以下の「ひな形」の構成に沿って、「事業所の実態」を反映した案を作成してください。
条件:
- ひな形の条の順序・条番号・見出しをそのまま維持すること
- 事業所の実態に記載がない事項は、ひな形の表現をそのまま残すこと
- 実態に合わせて数値を変更する場合、変更した箇所を「(変更)」と明記すること
- 法令に照らした適否の評価や、追加の提案を書かないこと
- 事業所は A社 のまま扱うこと
ひな形:
"""
(ここに貼り付け)
"""
事業所の実態:
"""
(匿名化した箇条書きを貼り付け)
"""
変更と明記された箇所が、社労士が確認する対象になります。この形にしておくと、どこが動いたかが可視化されます。
書き換えた案は、そのまま顧問先に出さず、法令上の要件と実態への適合を確認します。この確認は判断であり、省けません。
書き換えの作業でよく起きるのが、ひな形に無い事項を追加してしまう出力です。事業所の実態として聞き取った内容から、生成AIが必要と考えた条文を足してくることがあります。追加そのものが誤りとは限りませんが、事務所が意図していない条文が紛れ込むと、後の確認で見落とされます。ひな形にない条文を追加しない条件を、指示文に入れておきます。
もう一点、書き換えの範囲を絞る工夫も効きます。規程全体を一度に書き換えさせるより、章ごと、あるいは論点ごとに区切って処理するほうが、出力が安定します。区切って処理すれば、どこが変わったかも追いやすくなります。長い文書を一度に扱わせると、後半の処理が雑になる傾向もあります。
守秘義務と規程 就業規則で扱う情報
就業規則そのものは、個人情報を含みません。ただし、周辺の情報には注意が要ります。
社会保険労務士の守秘義務は社会保険労務士法第21条に置かれています。正当な理由がなくて業務に関して知り得た秘密を他に漏らし、又は盗用してはならないと定められています。
就業規則の見直しでは、その背景となる事情を扱うことがあります。特定の従業員をめぐる問題、労使の間の交渉の経過、事業所の経営状況。これらは入力しない区分に置きます。
事業所の実態に関する情報も、匿名化の対象になります。事業所名を記号に置き換えても、業種と地域と従業員の規模が揃えば特定できる場面があります。就業規則の内容そのものが特徴的な場合、さらに特定しやすくなります。
確認の工程では、数値、日数、条番号、用語の表記の4点を見ます。条文が含まれていたらe-Gov法令検索の原典で確認します。生成AIは実在しない条番号を、実在するものと同じ文体で出力します。
個人情報の側では、安全管理措置が個人情報の保護に関する法律の個人情報保護法第23条に置かれています。健康に関する事項を規程に反映する場面では、労働安全衛生法第66条の健康診断に関する定めも関係してきます。
顧問先への説明も準備します。何に使っているか、何を入力しないか、誰が確認するかの3点です。全国社会保険労務士会連合会の公表情報は、所属する団体の考え方を確認する材料になります。規程への落とし方は士業事務所のAI利用規程テンプレートで扱っています。
顧問先への説明資料にも使う
就業規則を改定したら、従業員への周知が要ります。この場面でもAIが使えます。
改定の内容を、従業員向けに平易に説明する文書を作る作業です。条文のままでは伝わらないため、何が変わったかを平易な言葉で書き直します。
ここで注意するのは、平易にする過程で意味が変わらないようにすることです。指示文で、数値と日付を変更しない条件、元の条文にない内容を足さない条件を入れます。
説明文は、顧問先の担当者が使うものです。事務所が作った文案をそのまま渡すのではなく、顧問先の言葉に合わせて調整してもらう前提で渡すと、実際に使われます。完成品として渡すと、顧問先の実態と合わない部分が残ったまま配られることになります。
改定の説明と併せて、質問への備えも用意しておくと役に立ちます。従業員から出そうな質問を列挙させ、顧問先の担当者と一緒に回答を用意する。この準備があると、周知の場が滞りません。回答そのものをAIに書かせると、事業所の運用と合わない内容が混ざるため、列挙までを任せます。
周知の記録も、顧問先に案内しておきます。いつ、どういう方法で周知したか。この記録は顧問先が残すものですが、事務所として様式を用意しておくと、実施されやすくなります。改定の作業が終わった時点で周知の案内までを一式で渡す形にしておけば、顧問先の側の手間も減ります。
導入でつまずくパターン
1つ目は、点検に通したから問題がないと理解した例です。拾えるのは形式の不整合までであり、内容の妥当性は判断の領域です。
2つ目は、法令の解釈をAIに尋ねた例です。それらしい説明が返りますが、根拠を確かめる作業が自分で調べる作業と同じ手間になります。
3つ目は、改正内容の反映を機械に任せた例です。古い取扱いのまま出力される可能性があります。反映は人が行い、機械に任せるのは反映後の整合の確認までにとどめます。
4つ目は、条番号を変えてしまった例です。他の規程からの参照がずれます。指示文で条番号の維持を条件に入れます。
5つ目は、過去の顧問先の就業規則をそのままひな形として渡した例です。事業所名や固有の事情ごと外部のサービスに渡すことになります。
6つ目は、複数の規程の整合を確認しなかった例です。就業規則だけを直して、関連する規程の記述が置き去りになる事故がよく起きます。
7つ目は、指摘の数に圧倒されて対応をやめた例です。長い規程では指摘が数十件に及ぶことがあります。実際に問題になり得る箇所から順に見る、という優先順位を人が付けます。
8つ目は、顧問先に渡す説明文が事務所の文体のまま出た例です。従業員に向けた文書は、顧問先の言葉に合わせて調整してもらう前提で渡すと、実際に使われます。事務所がそのまま使える完成品を作ろうとすると、かえって使われません。
費用と体制、導入の順番
費用は、法人向けプランのライセンス料の範囲に収まります。金額は事業者と契約形態で変わるため、各社の料金ページで確認します。就業規則の作成に特化したツールを検討する場合は、扱う件数との釣り合いを見ます。
工数は、ひな形の整理に集中します。参考値として、顧問先の情報を含まない状態のひな形をそろえるのに数日、指示文の型を整えるのに半日ほど見ておくと、無理なく形になります。ひな形の整理は道具を入れなくても価値がある作業です。
体制では、ひな形を管理する担当を決めます。法令が変われば、ひな形も更新の対象になります。担当が決まっていないと、古い内容のまま使われます。更新の作業自体は、改正内容を反映して一箇所を直すだけです。担当と時期を決めておけば負担になりません。
導入の順番としては、点検から始めます。既存の顧問先の就業規則を点検にかけると、事務所が抱えている不整合が見えてきます。この結果自体が、顧問先への提案の材料になります。導入全体の進め方は士業事務所のAI導入の進め方にまとめています。
これから変わること
労働関係の制度は改正が続きます。改正のたびに規程の見直しが発生するため、整合の確認にAIを使う場面は増えていきます。厚生労働省の公表資料を追う体制は、道具を使うかどうかにかかわらず要ります。
顧問先の側でも、就業規則を自社で作ろうとする動きが出ています。AIで作った案の確認を求められる場面が増え、その案が実態に合っていない場合の説明が必要になります。整った文章ほど、実態との乖離が見えにくくなる点にも注意が要ります。
制度面では、個人情報保護法の見直しの議論が続いています。委員会の公表資料は個人情報保護委員会の報道発表で追えます。
就業規則の業務において、事務所の価値がどこにあるかも問い直されます。条文を書く作業そのものより、事業所の実態を聞き取り、運用できる規定として成立させる部分に重心が移っていきます。
よくある質問
点検に通せば確認は終わりますか
拾えるのは形式の不整合までです。条文の間の食い違い、参照先の不存在、用語の表記のゆれ。定めの内容が法令に照らして妥当かどうか、事業所の実態に合っているかどうかは判断の領域であり、社労士が確認します。
就業規則をゼロから作らせてよいですか
事務所のひな形を土台にする形が現実的です。ゼロから作らせると、事務所として使ってきた表現から外れ、確認の手間が増えます。ひな形は顧問先の情報を含まない状態のものを用意しておきます。
改正内容の反映は任せられますか
反映は人が行います。古い取扱いのまま出力される可能性があるためです。機械に任せるのは、反映した後の整合の確認までにとどめます。改正の内容は厚生労働省の公表資料で確認します。
関連する規程との整合も見られますか
複数の規程を渡して突き合わせさせる形で確認できます。就業規則だけを直して関連規程の記述が置き去りになる事故は起きやすいため、直した後に突き合わせを回しておくと抜けが拾えます。
匿名化はどこまで行いますか
事業所名の置き換えに加えて、業種と地域と従業員の規模の組み合わせまで見ます。就業規則の内容そのものが特徴的な場合、さらに特定しやすくなります。改定の背景となる個別の事情は、入力しない区分に置きます。
どこから始めるのがよいですか
既存の顧問先の就業規則を点検にかけるところからです。事務所が抱えている不整合が見えてきます。この結果自体が、顧問先への提案の材料になります。
参考文献
- e-Gov法令検索 労働基準法
- e-Gov法令検索 社会保険労務士法
- e-Gov法令検索 労働安全衛生法
- e-Gov法令検索 個人情報の保護に関する法律
- 厚生労働省 労働基準
- 厚生労働省 労働時間・休日
- 全国社会保険労務士会連合会
- 個人情報保護委員会 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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