顧客情報の入力リスクとは、外部AIへ情報を送ることで生じる管理上の問題のことです。
顧問先の資料を生成AIに貼り付けてよいか。この問いに事務所として答えを持っていないと、担当者が個々の判断でその場をしのぐことになります。この記事では、顧客情報を生成AIに入力するときに実際に何が起きるのかを整理し、事務所が決めておく5つの線引きを具体的に示します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で確認しています。判断の出発点になるのは個人情報保護委員会が公表した注意喚起です。
入力したときに実際に何が起きるのか
まず、技術的に何が起きるかを整理します。感覚的な不安ではなく、事実として押さえておくと判断がぶれません。
生成AIサービスに文章を入力すると、その文章は事業者のサーバへ送られ、処理されます。ここまでは、クラウドのメールやファイル共有と同じ構造です。違いが出るのは、その後の扱いです。入力された内容が、モデルの改善のために使われるかどうか、どれくらいの期間保持されるか、事業者の従業員が内容を見る場合があるかどうか。この3点が、サービスと契約プランによって変わります。
無償版と法人向けプランで扱いが分かれているサービスが多く、同じサービス名でも条件が違います。したがって、サービス名だけで危険か安全かを語ることには意味がありません。事務所が契約しているプランの規約に何が書かれているかを読む、というのが唯一の確認方法になります。
Anthropicはプライバシーポリシーと商用利用規約を、GoogleはGemini APIの利用規約を、MicrosoftはMicrosoft 365 Copilotのプライバシーを公開しています。読む観点は共通で、学習利用の有無、保持期間、処理される地域、管理者が利用状況を把握できるかの4点です。
行政の見解としては、個人情報保護委員会が生成AIサービスの利用について注意喚起を公表しています(出典: 個人情報保護委員会 注意喚起・行政上の対応)。個人情報取扱事業者に向けて、生成AIサービスへ個人情報を含むプロンプトを入力する場合の留意点が示されており、士業事務所もこの射程に入ります。
もう一つ、見落とされやすい経路があります。事務所の内部から情報が出ていく経路です。担当者が個人のアカウントで無償版を使い、そこに顧問先の資料を貼り付けている状態では、事務所として何が外に出たかを把握できません。技術的な情報漏えいより、この把握できない状態のほうが、実務では大きな問題になります。
リスクを3つに分けて捉える
漠然と危ないと言っていても対策は打てません。リスクを3つに分けると、それぞれに違う対策が対応します。
1つ目は、情報が事業者側に残るリスクです。入力した内容が保持され、学習に使われる可能性がある場合がこれです。対策は契約プランの選択です。法人向けプランを選び、規約の記載を確認する。この一手で対応する部分が大半になります。
2つ目は、事務所として把握できないリスクです。誰が何を入力したか分からない状態を指します。技術ではなく管理の問題なので、対策も管理側になります。使ってよいサービスを事務所として指定し、法人契約に一本化し、退職時に停止する手順を入退職の手続きに組み込む。この3つで対応します。
3つ目は、出力を通じて問題が生じるリスクです。入力ではなく出力の側の話で、実在しない条番号や誤った内容が書面に載る場面がこれです。対策は確認工程の設計です。有資格者が何を見るかを決め、作業フローに書き込みます。
この3つを混ぜて議論すると、対策が噛み合いません。契約プランを慎重に選んだのに、担当者が個人アカウントで使い続けていれば2つ目のリスクは残ります。逆に、管理を厳しくしても、出力の確認工程がなければ3つ目のリスクは残ります。3つとも別々に手当てします。
守秘義務との関係については士業の生成AIと守秘義務で詳しく扱っています。
事務所が決める5つの線引き
ここからが実務です。決めるのは次の5つです。
第1の線引きは、入力してよい情報の区分です。3段階に分けます。公表資料や事務所の汎用文例など、そのまま入力してよいもの。顧問先の事案に関する記述など、識別できる情報を落としてから入力するもの。マイナンバー、口座番号、健康情報、係争中の事案に関する所内の見立てなど、入力しないもの。区分を作るときは、迷ったものを真ん中に寄せます。真ん中を厚くして匿名化の手順で吸収する設計にしておくと、実務が止まりません。
第2の線引きは、匿名化の水準です。顧問先名をA社、代表者を甲、取引先を乙に置き換える。金額は桁を丸める。日付は年月までにする。ここまでは多くの事務所が行っています。見落とされやすいのが、業種と地域と規模の組み合わせのように、単独では識別できなくても組み合わせると特定できる情報です。この部分まで置き換えの対象に入れておきます。
第3の線引きは、使ってよいサービスです。事務所が契約した法人向けプランに限る、という形にしている事務所が増えています。サービス名は規程本体に書き込まず、所内の一覧で管理する構成にしておくと、入れ替わっても規程を直さずに済みます。
第4の線引きは、出力を外に出す前の確認です。誰が、どの段階で、何を見るか。3つ目が抜けている事務所が多く、結果として確認が全文の読み直しになり、量が増えると形骸化します。観点を数値、固有名詞、参照先の3点に絞ると運用が保ちます。
第5の線引きは、記録です。どの案件で生成AIを使ったかを案件記録に残します。凝った管理表を作ろうとすると続かないため、既存の案件管理に一項目足す形にしておきます。記録がなければ、何かあったときに範囲を特定することもできません。
この5つのうち、第1と第2は担当者が毎日使うもの、第3から第5は事務所として一度決めれば足りるものです。優先順位をつけるなら、第1と第3から着手します。この2つが決まれば、担当者は毎日の判断に迷わなくなります。残りは、運用しながら形にしていっても間に合います。
線引きを文書にするときは、分量を絞ります。担当者が読み返せる長さでなければ、書いてあっても使われません。A4で1枚に収めて事務所の見やすい場所に置き、細部は別紙の手順書に逃がす構成が扱いやすくなります。条立ての作り方は士業事務所のAI利用規程テンプレートで扱っています。
線引きを決めるときに、担当者を議論に入れるかどうかで定着が変わります。所長が一人で決めて配ると、現場の実態と合わない箇所が残ります。実際に資料を扱っている人に、どの場面で迷うかを先に聞いておくと、線引きの粒度が実務に合ってきます。決めるのは一人でよいのですが、材料は現場から取る、という順番です。
入力前の点検を仕組みにするなら、次のような指示文を事務所で共有する方法があります。
あなたは事務所の情報管理の点検役です。以下のテキストを、外部の生成AIサービスに
入力する前提で点検してください。
検出対象:
- 個人名、法人名、屋号、店舗名
- 住所、電話番号、メールアドレス
- 口座番号、マイナンバー、保険証番号などの識別番号
- 特定の個人や法人を推測できる固有の事情(業種と地域と規模の組み合わせなど)
出力形式:
- 検出箇所 / 種別 / 置き換え案(A社、甲、乙 などの記号)
- 検出がゼロの場合は「検出なし」とだけ出力すること
判定や助言は書かず、検出結果だけを出力してください。
対象テキスト:
"""
(ここに貼り付け)
"""
出力の確認で使う指示文の例です。人間が見る箇所を絞り込むための下ごしらえとして使います。
あなたは書類の点検役です。以下の文書を読み、次の観点で「疑わしい箇所」だけを列挙してください。
修正案は出さず、指摘のみを出力してください。
観点:
- 数値・日付・金額が前後で食い違っている箇所
- 参照先(条番号・別紙・様式番号)が本文中に存在しない箇所
- 固有名詞の表記がゆれている箇所
- 主語が抜けていて誰の行為か読み取れない箇所
出力形式:
- 該当箇所の引用(20字以内)/指摘の理由 を1行ずつ
対象文書:
"""
(ここに貼り付け)
"""
守秘義務の根拠と、条文から決まらない部分
線引きを決めるときの背景を整理します。ここを押さえておくと、顧問先や所内に説明するときに言葉が通じます。
個人情報の側では、個人情報の保護に関する法律に関係する規定が置かれています。利用目的の特定は個人情報保護法第17条、利用目的による制限は個人情報保護法第18条、取得に際しての利用目的の通知等は個人情報保護法第21条、安全管理措置は個人情報保護法第23条、第三者提供の制限は個人情報保護法第27条です。生成AIサービスへ個人データを送る行為の位置づけは、サービスの契約形態や事業者の役割によって整理が変わり得るため、個別の事案では有資格者の判断が要る領域になります。
士業の側では、それぞれの資格法に秘密を守る義務の規定があります。弁護士は弁護士法第23条、税理士は税理士法第38条、公認会計士は公認会計士法第27条、司法書士は司法書士法第24条、行政書士は行政書士法第12条、社会保険労務士は社会保険労務士法第21条、弁理士は弁理士法第30条です。
ここで押さえておきたいのは、資格法の守秘義務の対象が個人情報に限られないという点です。法人の営業情報、取引条件、所内の見立て。これらは個人情報保護法の枠組みでは扱われませんが、資格法の守秘義務の対象にはなり得ます。個人情報保護法の観点だけで線引きを作ると、この部分が抜け落ちます。
そして、これらの条文はいずれも生成AIの利用を直接扱ったものではありません。条文を読めば入力の可否が決まるわけではなく、事務所として説明できる運用を持っているかが実務の分かれ目になります。条文が果たしているのは、判断の重さを示す役割です。
実際に起きている失敗と、その原因
1つ目は、無償版のサービスに顧問先の資料をそのまま貼り付けた例です。担当者に悪意はなく、事務所として使ってよいサービスを指定していなかったことが原因です。禁止だけを掲げると隠れて使われるため、代わりに使える環境をセットで用意します。
2つ目は、匿名化したつもりで識別できてしまった例です。社名を伏せても、業種と所在地と従業員規模が揃えば特定できる場面があります。置き換えの範囲に固有の事情まで含めておくことが対策になります。
3つ目は、AIの出力に含まれた条番号を確認せずに書面へ載せかけた例です。生成AIは実在しない条番号を、実在するものと同じ文体で出力します。条文はe-Gov法令検索の原文で開いて確認し、確認できなかったものは書かない。この工程を作業フローに固定します。
4つ目は、退職者のアカウントを止め忘れた例です。法人契約に一本化していても、退職手続きの中にアカウントの停止が入っていなければ、外部サービス側にアクセスできる状態が残ります。入退職の手続き一覧に項目を足すことで防げます。
5つ目は、顧問先から利用状況を聞かれて答えられなかった例です。記録を残していなければ、事実として答えようがありません。案件記録に一行残す運用を先に決めておけば防げます。
6つ目は、社外の関係者とのやり取りで意図せず情報が出た例です。顧問先から受け取った資料を、外部の協力者に渡して作業を依頼する場面があります。渡した先が生成AIをどう使っているかまでは、事務所からは見えません。委託先との取り決めに、生成AIの利用に関する項目を置くかどうかが検討の対象になります。相手のある話なので事務所だけで決めきれませんが、少なくとも聞いておく項目として整理しておく価値があります。
7つ目は、確認工程が形骸化した例です。導入直後は有資格者が全件を確認していたのに、量が増えるにつれて確認が形だけになる。回避策は確認の観点を絞ることです。すべてを読み直すのではなく、数値と固有名詞と参照先の3点だけを見る、と決めておくと量が増えても運用が保ちます。
顧問先への説明をどう組み立てるか
説明の型を先に用意している事務所は、聞かれたときに動揺しません。逆に、用意がない事務所は、その場しのぎの回答をして後から訂正することになります。
説明する内容は3点で足ります。何に使っているか。何を入力しないか。出力を誰が確認するか。顧問先が知りたいのは技術の中身ではなく、自社の情報がどう扱われるかだからです。
説明の方法は3つに分かれます。顧問契約書や委任状に条項を置く方法。業務案内や事務所の案内書面で説明する方法。案件の着手時に口頭で説明して記録に残す方法。顧問契約が中心の事務所は1つ目、スポットの依頼が多い事務所は2つ目が実務に合います。
書き方の勘所は、サービス名を書きすぎないことです。サービスは入れ替わるため、名前を書き込むと更新のたびに書面を直すことになります。事務所が指定した法人向けの生成AIサービスを、事務所の管理の下で業務の補助として利用する、という粒度で書いておきます。
説明を避けたがる事務所もありますが、実務では逆に働く場面が増えています。顧問先の側も社内でAI利用のルールを作っている最中であることが多く、事務所の運用が整っていること自体が安心材料になります。
体制と、これから変わること
体制で決めるのは、線引きを持つ人と、点検を回す人です。同じ人が兼ねても構いませんが、担当を決めずに全員の善意に任せると運用が崩れます。所長が最終責任を持ち、実務の点検は業務を回している人が担当する形が現実的です。
点検の中身は複雑にしないほうが続きます。使ってよいサービス以外が使われていないか。入力しない情報が入っていないか。確認工程が飛ばされていないか。この3点を見るだけでも、事務所の状態はかなり把握できます。
情報管理の一般的な考え方は、情報処理推進機構の情報セキュリティ関連ガイドラインや総務省のサイバーセキュリティ関連情報が参考になります。士業向けの資料ではありませんが、アカウント管理とログの考え方はそのまま使えます。
制度面では、個人情報保護法の見直しの議論が続いています。委員会の公表資料は個人情報保護委員会の報道発表で追えます。規定が変われば、線引きも見直しの対象になります。
事務所内のデータを検索対象にする使い方が広がると、また別の論点が立ち上がります。外部への入力とは設計が変わり、誰がどの案件の情報にアクセスできるかという内部の権限設計が問われます。線引きは、外向きだけでなく内向きにも要るようになる、ということです。
よくある質問
匿名化すれば何を入力してもよいですか
匿名化は入力の可否を自動的に決めるものではありません。資格法の守秘義務の対象は個人情報に限られないため、識別子を落としたから安全になる、という単純な話にはなりません。個別の事案では有資格者の判断が要る領域として扱い、迷ったら入力しない運用に倒しておくと安全側に立てます。
無償版と法人向けプランはどこが違いますか
入力データの取扱いと管理機能が違います。多くの事業者が、学習利用の扱いやデータ保持の条件を、無償版と法人向けプランで分けています。判断は各社の公式ドキュメントで行います。事務所での利用は法人向けプランに寄せる例が主流です。
顧問先の同意は取る必要がありますか
条文から一律に決まるものではありません。実務では、聞かれてから考えるのではなく、先に説明の型を用意している事務所が増えています。顧問契約書に条項を置く方法、案内書面で説明する方法、着手時に口頭で説明して記録に残す方法があり、事務所の業務形態に合わせて選びます。
入力してしまった情報は取り消せますか
サービスと契約プランによって、データの削除に関する扱いが異なります。まず契約しているプランの規約と設定を確認します。あわせて、何をどのサービスに入力したかを特定できる記録があるかどうかが、事後対応の前提になります。記録がなければ範囲の特定そのものができません。
どこから手をつけるのが効率的ですか
入力してよい情報の区分と、使ってよいサービスの指定の2つから着手します。この2つが決まれば、担当者は毎日の判断に迷わなくなります。確認工程と記録は、その次の段階で設計しても間に合います。
事務所が小さければリスクも小さいですか
規模とリスクの大きさは直結しません。むしろ、担当者が少ない事務所ほど一人あたりの裁量が大きく、把握できない利用が生まれやすい面があります。一方で、決める人が少ないぶん、線引きを一枚にまとめて共有するだけで運用が回り始めるという利点もあります。
参考文献
- 個人情報保護委員会 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等
- 個人情報保護委員会 注意喚起・行政上の対応
- e-Gov法令検索 個人情報の保護に関する法律
- e-Gov法令検索 弁護士法
- e-Gov法令検索 社会保険労務士法
- Anthropic プライバシーポリシー
- Microsoft 365 Copilot のプライバシー
- 情報処理推進機構 情報セキュリティ関連の各種ガイドライン
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
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