段階導入とは、小さな範囲で試し、効果を測ってから広げる進め方のことです。
生成AIを事務所で使い始めるとき、いきなり全員で本格導入するのか、一人の担当者が無料ツールで試すのか。この問いに事務所として答えを持っていますか。この記事では、行政書士・司法書士の数名規模の事務所を想定し、個人情報を含まないサンプル案件で試し、時短の効果を測り、拡大するかを判断するまでの5ステップを整理します。本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、AIサービスのデータの扱いは各社の公式文書で確認しています(確認日は2026年10月3日)。効果の数値は、事務所ごとに測るものであり、この記事では提示しません。
段階導入を考える前提 公式資料が示す枠組み
段階導入の前に、公的な枠組みを確認します。総務省のAI事業者ガイドラインのページには、最新版が第1.2版で、令和8年3月31日に公表された旨が示されています。対象の主体は、AI開発者、AI提供者、AI利用者です(出典:総務省 AI事業者ガイドライン、2026年10月3日確認)。事務所は、AIサービスを業務に使う側として、AI利用者の位置づけで読む場面が多いと考えられます。同ページには、チェックリストやワークシートなどの実装支援の資料が備わっている旨の示唆もあります(出典:同ページ)。
条文の面では、行政書士法第1条の2の第2項が、行政書士は業務を行うに当たって、デジタル社会の進展を踏まえ、情報通信技術の活用その他の取組を通じて、国民の利便の向上及び業務の改善進歩を図るよう努める旨を定めています(出典:e-Gov法令検索 行政書士法)。この規定が、具体的なAI導入の方法をどう方向づけるかは、この記事では評価しません。ただ、ICTの活用が、職責の条文の中で触れられていることは、事実として確認できます。
無料ツールで試すときに確認する公式の記載
段階導入の最初の入口は、無料ツールでの試行です。ここで、無料の個人向けサービスの、データの扱いを確認しておきます。
OpenAIのヘルプセンターは、ChatGPTの個人向けの設定として、Improve the model for everyoneという項目を示し、これをオフにすると、新しい会話はOpenAIのモデルの学習に使われない旨を記載しています(出典:OpenAI ヘルプセンター Data Controls FAQ、2026年10月3日確認)。一時チャットは、モデル改善に使われない一方、安全性の目的で最大30日間保持されることがある旨の記載があります(出典:同ページ)。
Anthropicは、個人向けのClaude Free、Pro、Maxについて、プライバシー設定のModel Improvementで制御する形を示しています(出典:Anthropic Privacy Center 個人向け製品のデータ利用、2026年10月3日確認)。同文書は、法人向けの製品は別の扱いである旨も記載しています(出典:同ページ)。
ここから言えるのは、無料の個人向けサービスは、設定の状態が、利用者の操作に依存するという点です。事務所として試行するなら、設定の確認が、試行の最初の作業になります。依頼者の情報は入れず、設定の状態も記録しておく運用が、試行の安全側の置き方です。
守秘義務の条文と、試行段階の線引き
守秘義務の条文を確認します。行政書士法第12条は、行政書士は正当な理由がなく、その業務上取り扱つた事項について知り得た秘密を漏らしてはならない旨を定めています(出典:e-Gov法令検索 行政書士法)。司法書士法第24条は、司法書士又は司法書士であつた者は、正当な事由がある場合でなければ、業務上取り扱つた事件について知ることのできた秘密を他に漏らしてはならない旨を定めています(出典:e-Gov法令検索 司法書士法)。
これらは条文の紹介にとどめます。AIへの入力が、これらの条文との関係でどう評価されるかは、入力する情報や契約形態、各団体の見解を踏まえて、有資格者が判断する領域です。試行段階の運用例としては、依頼者の情報や、依頼者を特定できる情報を入力しない、サンプル案件は架空のものを使う、という線引きが考えられます。個人情報保護委員会は、生成AIサービスの利用に関する注意喚起を、2023年6月2日に公表しています(出典:個人情報保護委員会 生成AIサービスの利用に関する注意喚起)。試行の開始前に、この種の公式資料に目を通す運用があります。
段階導入の5ステップ
ここから先は、編集部が整理した運用上の手順であり、各社や団体の推奨ではありません。各ステップで、入力と出力を明示します。
ステップ一。試行の目的と対象業務を一つに絞ります。入力は、事務所の業務の一覧と、所員が負担に感じている作業です。出力は、試行の対象にする業務一つと、成功の基準です。たとえば、書類の説明文の下書き、問い合わせへの返信文の整え、議事メモの要約などが候補です。個人情報を含まずに試せる業務を選ぶのがこの段階の条件です。
ステップ二。サンプル案件を作ります。入力は、過去の案件の型だけです。氏名、住所、金額、日付などは架空の値に置き換え、実在の案件と照合できない形にします。出力は、試行用のサンプル案件のセットです。サンプルの作成は、有資格者が確認し、実在の情報が残っていないかを点検します。
ステップ三。無料ツールで、サンプル案件を使って試します。次のプロンプト例は、返信文の整えの試行に使えます。
あなたは行政書士事務所の補助者です。以下は架空の依頼者からの問い合わせメールへの返信の下書きです。
条件:
- 事実を足したり変えたりせず、敬語と文の順序だけを整える
- 手続の可否や期間の断定は書かない
- 確認が必要な箇所は「要確認」と明記する
下書き: (ここに架空の返信文を入力)
出力された文章を、担当者が読み、事務所の言い回しに直します。AIの出力をそのまま送らない工程を、試行の段階から習慣にします。
ステップ四。時短の効果を測ります。入力は、試行前の作業時間と、試行後の作業時間です。出力は、一件あたりの時間の差と、修正にかかった時間を含めた実質の差です。測る件数は、事務所の規模に合わせて決めます。サンプル数が少ないと、結果にばらつきが出るため、結論を急がない運用が考えられます。測定の記録は、日付と担当者を添えて残します。
ステップ五。拡大するかを判断します。入力は、ステップ四の測定結果と、試行中に出た課題です。出力は、拡大、現状維持、中止のいずれかの判断と、その理由です。拡大する場合は、法人向けプランへの移行、対象業務の追加、依頼者情報の入力の可否の検討が次の論点になります。この判断は、所長と有資格者が行い、判断の理由を議事録に残します。
拡大判断で見る4つの観点
拡大するかの判断では、時短の数字だけを見ない方法があります。
観点一は、品質です。出力の修正の回数や、誤りの種類を記録し、誤りが業務に与える影響の大きさを見ます。誤りの多い業務は、拡大を見送る候補になります。
観点二は、情報管理です。試行の対象を広げると、依頼者の情報に近づきます。その場合は、法人向けプランや、データの扱いが契約上定められたサービスへの移行を、先に検討します。個人向けの無料サービスの設定は、利用者の操作に依存するためです。
観点三は、所員の定着です。試行に参加した所員が、続けて使いたいと感じたか、負担に感じたかを、聞き取りで確認します。使われないツールは、費用がなくても、運用の負担だけを残します。
観点四は、依頼者への説明です。拡大に伴い、依頼者に、事務所のAI利用の方針を示す場面が出ます。方針の作り方は、事務所のAI利用ガイドラインの作り方 判断フローと周知・更新の設計で整理しています。無料のAIが最新モデルになった場面での規程の見直しは、無料ChatGPTが最新モデルになった 事務所のシャドーAI規程7見直しも参考になります。
測定シートと試行報告書の作り方
時短の効果を測るには、測り方を先に決めておく必要があります。測定シートの項目は、日付、担当者、作業の種類、従来の手順での所要時間、AIを使った手順での所要時間、修正にかかった時間、気づいた課題です。従来の所要時間は、過去の記録か、試行前に数件測った値を使います。感覚で書いた数字は、後から検証できないため、避けます。
測定シートの下ごしらえには、AIを使えます。次のプロンプト例は、測定項目の案を出させる用途です。
行政書士事務所が、生成AIの試行で、時短の効果を測るための記録シートの項目案を作ってください。
対象業務: 依頼者への返信文の下書き整え(架空の案件で試行)
条件:
- 項目は10個以内で、各項目に記入例を添える
- 数値は入れず、記入欄の見出しだけ示す
- 品質の観点(修正の回数、誤りの種類)を2項目以上含める
- 実在の依頼者の情報を記入させる項目は入れない
出力された項目案を、担当者と有資格者で見直し、事務所の実態に合わせて削ります。項目が多すぎると、記入が続かず、データが欠けます。
試行が終わったら、短い報告書にまとめます。報告書の構成は、試行の目的、対象業務、期間、測定結果、出た課題、拡大の可否の判断、判断の理由です。数字は、測定シートから転記し、出典の欄に、シートの名前と日付を書きます。報告書は、所内の共有フォルダに保管し、次の見直しの時に参照できるようにします。
報告書の作成にも、生成AIを使えますが、測定結果の数字をAIに計算させる場合は、元の数字と合っているかを、人が検算します。数字の誤りは、拡大判断を誤らせるためです。報告書の最終版は、所長が確認し、日付と版を付けて保管します。
試行期間中の日常運用 小さく回し続けるコツ
試行の期間中は、毎週、短い振り返りの時間を設けると、課題が早く見つかります。振り返りは、十五分程度でも成り立ちます。話す内容は、今週試した場面、うまくいった点、困った点、来週試す場面の四つです。
困った点が、AIの出力の誤りだった場合は、誤りの内容を記録します。同じ種類の誤りが繰り返されるなら、その業務はAIに向かない可能性があります。向かない業務が分かることも、試行の成果です。
また、試行に参加していない所員にも、進捗を共有します。関心のある所員が、試行に加わる機会を作ると、拡大時の抵抗が小さくなります。一方で、参加者を急に増やすと、情報の取り扱いのばらつきが生じます。参加者を増やす場合は、入力してよい情報の範囲を、全員に再度周知します。
試行の期間を終えるときには、使ったサンプル案件と出力を、整理して保管するか、削除するかを決めます。保管する場合は、保管場所と期間を記録します。無料ツールの会話履歴にも、削除の手順があるため、試行後に履歴を整理する運用も考えられます。
行政書士と司法書士で、試行の対象業務はどう違うか
試行の対象業務は、職種によって候補が変わります。行政書士の事務所では、許認可の手続の案内文、必要書類のチェックリストの下書き、依頼者への進捗連絡文の整えなどが、個人情報を含めずに試しやすい場面です。手続ごとの要件は、所管の官公庁の公式資料で確認する前提で、AIには文章の整えと構成の補助を任せます。
司法書士の事務所では、登記の手続の流れを説明する案内文、依頼者への必要書類のお願い文、事件の進行を整理する社内メモの型づくりなどが、試しやすい場面です。申請書の記載内容そのものは、条文や法務局の運用に照らして、司法書士が確認する領域です。登記書類づくりのツールの選び方は、司法書士の登記書類AI作成支援ツール 3類型の選び方で整理しています。
どちらの職種でも、試行の最初は、書類の中身そのものではなく、書類の周辺にある文章の作業から始めると、情報管理の負担が小さくなります。書類の中身に近づくほど、依頼者の情報との距離が縮まり、確認の工程が増えるためです。段階導入という言葉は、対象業務を、周辺から中心へ、少しずつ移していく進め方としても読めます。
失敗例と回避策
失敗例一。試行のつもりで、所員が実在の依頼者の資料を無料ツールに入れていた。回避策は、試行の前に、入力してよいものと、してはいけないものを、書面で示すことです。
失敗例二。時短の効果を、感覚だけで判断し、拡大後に、修正の手間が増えていた。回避策は、試行前の作業時間を、先に記録しておくことです。
失敗例三。一人の担当者だけが試し、他の所員に結果が共有されず、拡大の段階で意見が割れた。回避策は、試行の結果を、短い報告書として共有し、拡大判断の会議で使うことです。
失敗例四。試行が終わった後も、無料ツールの利用が続き、野良化した。回避策は、試行の期限を決め、期限が来たら、利用の継続か終了かを、判断することです。
費用・工数・体制
試行の段階の費用は、無料ツールであれば、ほぼ人の時間になります。サンプル案件の作成と、測定の記録に、数時間を見込む運用が考えられます。この見込みは編集部の目安で、公表資料に根拠のある数値ではありません。法人向けプランに移行する場合の費用は、各社の公式の料金ページで確認する領域です。
体制は、試行の担当者、サンプル案件の確認を行う有資格者、結果の記録をまとめる担当者の三つの役割に分けます。数名規模では兼務になりますが、サンプル案件の確認は、作成者と別の人が行うと、実在の情報の混入を防ぎやすくなります。
今後の展望と独自考察
段階導入は、導入の速さより、判断の記録を残すことに価値があります。試行の目的、測定の方法、拡大の判断の理由が残っていれば、後から依頼者や関係者に説明する場面で、根拠になります。
また、無料ツールの機能や規約は変わりやすいため、試行の期間中にも、設定と規約の確認日を、記録しておく運用が考えられます。この見立ては編集部の考察であり、公表資料から直接導かれる結論ではありません。
よくある質問
無料ツールだけで試してもよいですか。
この記事では、可否を判断しません。無料の個人向けサービスは、設定の状態が利用者の操作に依存します。依頼者の情報を入れない前提で、試行にとどめる運用が考えられます。
サンプル案件は、どう作ればよいですか。
過去の案件の型を使い、氏名、住所、金額、日付などを架空の値に置き換えます。実在の案件と照合できない形になっているかを、有資格者が点検します。
時短の効果は、どのくらい見込めますか。
この記事では数値を示しません。効果は、業務の種類と事務所の運用で変わるため、試行前後の作業時間を、事務所自身で測ります。
試行は、どのくらいの期間が目安ですか。
公表資料に、決まった期間はありません。対象業務の件数が十分に集まる期間を、事務所で設定する運用があります。期間の終わりに、拡大の判断を行います。
拡大の判断は、誰が行えばよいですか。
事務所の運営の判断として、所長と有資格者が行う運用が考えられます。判断の理由は、記録に残します。
依頼者の情報を入れる段階に進むには、何を確認しますか。
入力する情報の範囲、サービスの契約形態、学習利用の扱い、保管場所を、公式の文書で確認します。条文との関係は、有資格者が個別に判断する領域です。
参考文献
- 総務省 AI事業者ガイドライン
- OpenAI ヘルプセンター Data Controls FAQ
- Anthropic Privacy Center 個人向け製品のデータ利用
- 個人情報保護委員会 生成AIサービスの利用に関する注意喚起
- e-Gov法令検索 行政書士法
- e-Gov法令検索 司法書士法
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本記事の作成体制について
本記事は士業のチカラ編集部が、公表されている一次情報のみを根拠に作成しています。法令の条文はe-Gov法令検索の原文で、行政の見解は各府省庁の公表資料で、それぞれ確認したうえで記載しています。引用元は本文中および参考文献にすべて明示しています。
本記事には特定の資格者による監修は入っていません。個別の事案について法令の当てはめや手続の可否を判断する必要がある場合は、当該分野の有資格者にご相談ください。本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別具体的な法律判断・税務判断・労務判断を提供するものではありません。
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